★今回のポイント

・2019年でTampaは解散(1984年)から35年
・当時とは別HN 丹波寛斎 で改めて宜しくお願いします
・構想7年、満を持して開始(大げさ)
・ネット上にTampaに関する情報があまりに少なく、自ら情報を補完する
・会誌VitaminAMほかの原稿をスキャンして紹介。
 内容にまつわるウラ話、当時の状況、ゲームグッズを合わせて紹介


丹波寛斎(以下 寛斎):web Tampaの時間がやってまいりました。司会の金原二郎です。どうぞよろしく。

怪獣:ひでごんす(以下ゴンス):あんた古いな。底抜け脱線ゲームは令和になったら誰も知らないよ(笑)

寛斎:いやいや、失礼しました。あのTampa(Takaoka Amusement Machine Player's Association) 高岡AM同好会が散開、解散してから35年の年月が流れました。その間ひたすら愚直に、その財産を管理してきました私、丹波寛斎と申します。

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ゴンス:あんた昔、もっと長いペンネームじゃなかったか?

寛斎:あれは長過ぎるし、結局誰からもペンネームで呼ばれた事無かったんですよ(苦笑) だからこの機会に、Tampa(たんぱ=丹波)の財産を管理(管財=寛斎)してきたということで、新HN丹波寛斎(たんぱかんさい)です。
   

ゴンス:HNって、当時はラジオとかへの投稿で「ペンネーム」って言ってたけど、この35年でHN(ハンドルネーム)の方が一般的になったよね。まぁもともとホントの名前でしか呼んだ事無いんだけど、このブログ上は寛斎さんてことにしときましょう。

寛斎:で、ツッコミ入れてくれるのは、Tampa初代にして最後の会長、怪獣:ひでごんすサンです。
   ファミ通ほか、いろいろなところで有名になりましたよね。
   さて、そもそも結成30年の2012年、散開30年の2014年、結成35年の2017年と節目の年にやろうかと思ってたんですが…

ゴンス:まぁこの年になると、なかなか踏ん切りがつかない、と。

寛斎:まぁ、そんなところです(笑) ということで、構想7年、発起人のゴンスとの立上げに向けた10回近くにおよぶ打合せの後に…

ゴンス:いやいや、帰省の度に、飲みに行ったり、味平で天丼定食食べたり、オリエンタル興業のゲームコーナーに一緒に行っただけでしょ(笑)

寛斎:まぁ、その席でいろいろ練ってきたということで…

ゴンス:1982~1984年当時の話は色々したわな。で、7年もモタモタしてたのに、このタイミングで踏ん切りつけたのは何かあった?

寛斎:「Tampa」でネット検索してたんですが、自分たちで何も発信してないから、ネットではTampaに関する情報がほとんど出てない。あの当時私たち6人が全精力を傾けて活動していた「証」みたいなものが何も残っていないのは残念だなぁ というのが1つ。
   もう1つは最近namcoのドット絵師だった方の本が発売されたんですよね。「Mr.ドットマン-小野 浩 全仕事 前編-」買ったんですが、スゴいボリュームで、とりあえずディグダグのところしか読んでないんですけど。で、当時ドット絵にハマってた私はそれにインスパイアされてしまった と。
   あとは構想段階で何度か話した謎のゲームについて、ブログ上で語れば何か出てくるんじゃないかという…
   まぁ謎ゲーの話はおいおいするとして、とりあえず原稿を保管してきた会誌「Vitamin AM」の1ページごとの解説と、そこに登場するいろんなゲームのカタログ、今はフライヤーとか言うんですかね、とかグッズ類、その時にカタログに載っているドット絵、画像、ゲーム画面自体から拾って当時模写したドット絵とかを合わせて紹介して、当時の会誌の内容を補完するとか、Tampaが掲載された文書の紹介とか、そんなことをしたいなと考えてます。

ゴンス:ドット絵、描いてましたな。画面から魔界村のフォント(文字体)を拾ってもらったりしてたよね。ドット絵を特集した号も出したし。
    そうだなぁ、あとは当時通ったゲーセンがどうなってるか、とかも知りたいですなぁ。

寛斎:それは、当時の情報と現在の画像を比較掲載したりして、「Takaoka Now and Then」とか言って紹介してみたいですね。

ゴンス:まぁ今はネットで探せば見られる世の中にはなったけど、あんたの解説も含めて楽しみにしてます。(笑)