★今回のポイント
・創刊号表紙はナムコのDigDug。イラストはひろしの手描き
・当時のドットキャラ、BGMに「独特の味」があり、寛斎はハマっていった。


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寛斎:では第1回、行ってみましょうかね。1982年7月1日付発行のVitaminAM創刊号、表紙です。
   ナムコのディグダグのカタログ絵の模写ですね。VitaminAMのロゴはオリジナルでしょうね。
   原稿の状態がわかるような画像で紹介していきたいと思います。それから、スキャン原稿にロゴを重ねているため少し読み難い部分もありますが、原稿内容をそのまま文字として入力してしまうのもなんか味気ないですしね。

ゴンス:コピー対策かな?(笑)

寛斎:まぁ、誰もコピーなんかしないとは思うんですが、ネット上で外国人がAMライフという当時のゲーム誌をスキャンして全ページ掲載してるのを発見したんです。編集長の竹村潤さんに許可をとってるとは思えないんですよね。だからまぁ、なんとなく透かしでロゴを入れときたいな と。
   さて、この表紙、ひろしの手描きなんですよね?カタログをコピー用箋の下に敷いて写したりした訳じゃなく。

ゴンス:そうだね。初期はひろしがいて、末期はナメゴンがいたんだけど、中期はあんたと私と原始人(5人目のスタッフ)だけで、絵描きがいなかったから、誌面作りも苦労したね。原稿はA4のコピー用箋を横にして、A5見開きにしてサインペンとかポールペンで手書きしてました。

寛斎:ドット絵は模写してたけど、私には「絵心」が無く、イラストなんて描けなかったですからね。
   当時私もDigDugに狂ってましたが、Tampa内でも流行ってましたっけ?

ゴンス:第1回の会社紹介がナムコだしね。当時TBSラジオでやってたナムコ提供の「大橋照子のラジオはアメリカン」でCMやっててね。小林克也さんの声で「Best Hit of TV Games」って言ってたかなぁ… その1位がDigDugだというヤツ。
    小林克也さんはBest Hit USAをやってたし、そこから持ってきたんだろうねぇ。

寛斎:DigDugのBGMは当時聞いたことの無い音色で、一発でやられた感じでしたね。ゲームの音収集もしてましたが、音源とか、そのあたりの造詣が深くないので「バイナリ・アナリシス」の 渋谷洋一と漆原さんみたいには全く語れませんが…汗
   当時のゲームにハマったポイントとして、ドット絵の華やかさと間違いなく音と音楽があります。
   ギャラクシアン全盛期、金沢のテスターというオペレーターのCMをTVでやってたんです。そのCMでギャラクシアンのオープニングテーマが流れてて、まず、その音にやられたというか…
   その時は中学生で、親に連れられてゲーセンへ行き、ギャラクシアンをやってました。すぐ終わるんだけど、オープニング曲を聴いたことである程度満足というか。
   DigDugは、プレイヤーキャラを動かしていれば、軽快なBGMが流れるということで、とにかく動いていたような記憶があります。ゴンスはDigDugやってました?

ゴンス:何回ぐらいやったか、とか何点取れたかは全く記憶に無いね。

寛斎:私はDigDug豆本に86万点と書き込んでた記憶があります。ゲームオーバー後に1位だと流れる「Go For The World Record」の曲も好きで、これを毎回聞きたいからやりこんでた というのもあります。しばらくしてプレイ音を録音するようになり、自宅で何回も聞けるようになりましたが、最初はゲーセンでトップとらないと聞けなかったんで。

ゴンス:今はスマホで動画とか撮れば、自宅でゲームの画像や音も楽しめるんだけど、当時そんなものないし、ビデオカメラはおろか普通のカメラもゲーセンに持ってきてるヤツはいないから、ゲーム動画や画像なんか無い。
    帰宅したらゲームの音をカセットで聞いたり、カタログを見たり、模写したドット絵を見て、「明日もゲーセンでやるぞ」と放課後を待ってた感じだわな。

寛斎:まさにそれですね。当時のゲーム独特の音や音楽、ドット絵に引き込まれたのもゲームにハマった理由なので、アタリのモータルコンバットを初めて見たときに、「ドット絵を1ドットずつ拾う時代は終わったな」と
   画像は華やかになったけど寂しいものを感じましたね。BGMも取り込みとかになり、私がだんだんゲームから離れていく一因にもなったと思います。

ゴンス:ということで、1号の表紙でした。