001-02-01
★コンテンツ
・創刊号 1ページ目 Tampa沿革 の紹介
・NG創刊~3号 FROM Vitamin AM のページの紹介
丹波寛斎(以下 寛斎):ALIC日進の本分は?(笑)
怪獣:ひでごんす(以下ゴンス):もちろん、爆安!(爆)
寛斎:ということで、記念すべき1ページ目。ブロックくずしからのゲーム歴と書いてます。
以前ゴンスにダイエーレジャーランドのタイトー フィールドゴールを録音目的でやってもらいましたが、驚きのうまさでしたね。
ヘルメット群を全部消すとパドルがどんどん小さくなっていくんですが、最後はボールの幅とほぼ一緒。いやはや変人ですよ(笑)
■ 画像 タイトー フィールドゴール カタログ
ゴンス:資金が潤沢ではなかったので、とにかく長く遊びたい一心で頑張ってましたね。(笑)
寛斎:もちろんインベーダーもやってたんですよね。原始人以外のメンバーが通学してた中学校では、月曜の全校朝礼の後で全校生徒を座らせてから、生徒指導の先生が
「日曜日にインベーダーやった者(もん)、立ちろ(立ての意味の富山弁)」って言って立たせて隔離、立たなかった生徒だけ教室に戻って…
私が1年、ゴンスたち発起人が3年の1979年は既にインベーダーにとって代わるゲームが出てたはずなんですが、教師にしたら「ゲーム=インベーダーオンリー」な感じでしたよね。(笑)
で、ゴンスたちは当然「立ち」ってたんですよね? 体育館に残された後は、どんな指導が待ってたんですか?(笑)
ゴンス:キツーい折檻が待ってました(爆)
寛斎:私も1981年の3年次、放課後に駄菓子屋 三村商店でパックマンをやってたら体育教師 大阪先生が来て「何してんの?」と。翌日、職員室呼び出しで職員室で正座30分。
担任教師が「あんたゲームするの?」みたいに凄い驚いてて(笑)別に非行少年がゲームするんじゃなくて、ゲームが好きなヤツがやってるだけというのがわからなかったんでしょうね。
当時は「ゲームする=非行」みたいな図式でしたよね。今は教師も、アーケード、コンシューマー問わず、ゲームはやってると思いますが(爆)
ゴンス:そんなマイナスイメージを払拭するために、ゲームメーカーもいろいろ頑張ったと思うんだよね。そんな努力の先に今があるという、ね。
寛斎:ですね。で、その次ですが、「なんとかして知り合いになれたら」って最初は、結構奥ゆかしいですね。
ゴンス:プラス「信条」でプレイすることをいかに他にも利点があるか というところに結びつけ、ゲームのマイナスイメージをプラスにしたいという「アツい」思いがほとばしってるでしょ(笑)
寛斎:そうですね。その「アツさ」に各メーカーさんも妙に納得してくださって、カタログとかポップ、ポスターとかを提供してくださったんですかね?
ゴンス:そこんところは各メーカーさんに単刀直入には確認してないから、賛同していただけた経緯とか心情まではわかんないんだけどね(笑)
寛斎:発起人3人の次の会員ナンバー4だったナムコさんなんか、自社のPR誌「NG」の創刊号から第3号まで、その誌面を1ページ割いてくださって、「FROM VitaminAM」を連載記事として掲載してバックアップしてくださってますね。
ここに至るアプローチは、私はノータッチなんですが、考えてみるとスゴい事だと思いますよ。
■ 画像 NG創刊号 FROM Vitamin AM のページ
ゴンス:そうなんだよね。当時ナムコ提供でTBSラジオで放送してた「大橋照子のラジオはアメリカン」のイベントにも招待していただいて…
寛斎:Tampa紹介コーナーもあったんですよね?このイベント、当時のスタッフで私だけ親からの許可が出なくて不参加なんです。会場の雰囲気とか、ビュッフェ形式の食事とか、一緒に経験したかったです
(゜ρ゜)じゅる
ゴンス:会員募集もさせてもらったんだけど、届いたのは「VitaminAMくれ」みたいな応募ばかりで、あんたみたいな変人のスタッフ参加希望みたいなハガキは無かったんだわ。(爆)
寛斎:だから会員は増えるけど、スタッフが一向に増えなかったんですね(笑) それで後々苦労するんですけどね(笑)
■ 画像 NG発行日
■ 画像 NG2号 FROM Vitamin AM のページ
裏表紙を見ると、昭和58年2月、6月、10月発行になってますね。NG2号に掲載の「Vitamin PM」が先日話してたPR、紹介誌じゃないですかね? 他にはそのような号の原稿も残ってないし。
ゴンス:じゃあそうなんだろうな。なにしろ35年前のことだからね(笑)
寛斎:PM誌は発行日が「1999年7の月」となっていて、正式な発行日がわからないんですよ。さっきのゴンスの感じからして、ゴンスもいつ出したかわかんないですよね?
ゴンス:スキャンした原稿を見せられて初めて、「PM」があったのを思い出したぐらいだよ(笑)
寛斎:やはり35年は長いですね。で、原稿を保管している書類袋を見たら、昭和58年3月と書いてありました。ひろしとルート5がTampa卒業を前に気合を入れて執筆したようです。
「Viatmin PM」についても、順番に紹介していきます。
で、またTampaでネット検索してたんですが、以前はHitしなかったページを発見。ぜくうさんにブログ開設の案内とともに、連絡が取れるか打診してもらい…
ゴンス:ひろしと渡米以来の連絡がついた、と。
寛斎:風雲急を告げる衝撃の再会は、また次回で(笑)
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丹波寛斎
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