★コンテンツ
・2大拠点 「ダイエー高岡店」と駅南「おもちゃ箱 ぞうさん」
・Tampa以前、AFXモーターレーシングとの出会い
・原始人と寛斎 笑撃の出会い
・ひでごんす唯一の企画「新人類あきらちゃん」



丹波寛斎(以下 寛斎):AVC専門店~♪

怪獣:ひでごんす(以下ゴンス):NOJIMA~♪

ぞうさん包み紙大

■ 画像 高岡市駅南 「おもちゃ箱 ぞうさん」 包み紙

寛斎:ということで続きです。中3の夏休み、ダイエーや駅前地下街のおもちゃのバンビでデモ機プレイしたりしてましたが、とにかくヒマ。(勉強しろ、勉強(爆))駅南に行くと「おもちゃ箱 ぞうさん」というおもちゃ屋がありました。
後に原始人と私の活動拠点になるダイエー。そのダイエーにあるおもちゃのバンビで欲しいおもちゃを入手できなかった客が来てたのではないかと思われる、店主夫婦のアットホームな雰囲気が魅力のお店でしたね。
で、そこでトミーが米オーロラとライセンス契約してたと思われるスロットレーシング、AFXモーターレーシングと出会います。5歳のときから父親に「クルマ」を仕込まれてた私は即ハマり。
「ぞうさん」ではAFXのクルマを買うと会員証を発行してくれて、無料でお店に設置しているコースで遊ばせてくれました。
ぞうさん1
ぞうさん2

■画像 おもちゃ箱ぞうさん 住宅地図

AFX会員証

■ 画像 AFX会員証

ゴンス:あんた、38年前の会員証も持ってんの?!(爆) いや、もうスゲーな。

寛斎:AFXのクルマとかと一緒に保管されてました。(笑)で、ぞうさんでクルマを買って楽しんでいるうちに、他校生ですが同学年の原始人と仲良くなったんですよ。
たぶん原始人の方から話しかけてきてくれたと思うんですよね。最初に買ったクルマが「童夢ゼロRL」というルマン出場車で、ユーノディエールの直線での安定性を求めたロングテール(後輪から後ろのカウル(ボディ)が長い)。これはボディを軽量化とかでいじり倒して壊れてしまい現車が残ってません。
小さいながらAFXも「トータルバランス」が重要なおもちゃで、ロングテールな車体や、リアスポイラーがデカいクルマはぞうさん常連間では「ケツ振りマシン」と言われていて、コーナーでテールが流れ易い、早く走れないクルマだったんです。
「よくわかってないヤツがカッコだけで買っちゃったな」みたいな感じで、いろいろ教えてくれました。

スーパーマグナカー

■ 画像 AFX スーパーマグナカー シボレーモンツァ


寛斎:当時の原始人は後にTampa金沢自転車ツアーに行くときに乗っていたブリジストン・ロードマンではなく、ドリフがCMしてたブリジストン・ヤングウェイに乗ってましたね。
金沢ツアーやみんなの自転車の話はまた後の号の「ゲームセンターまっぷ」コーナーのところで触れたいと思います。
その後も原始人とは他校の友達として遊び続け、今でも連絡はとりあってます。
それで高校に入るとゲーセンでも補導されなくなったので、ラジアメのCMで聞いててやりたかったDigDugを、ダイエーレジャーランドでやりまくり。

ダイエー

■ 画像 ダイエー高岡店 住宅地図
ゴンス:その変人候補生を、原始人の兄であるSさん→原始人→あんた という 「つて」 でスカウトしてきて、今日に至る、と。

寛斎:ただ。ゴンス達や原始人から何と声をかけられて勧誘されたのか、は思い出せないんですよね。
それから、私は先に弟である原始人と知り合ってたので、彼を「S」と呼んでたんですが、発起人達は先に兄Sさんと知り合ってるので、原始人のことを「ジュニア」って呼んでましたよね。
今は千原兄弟がメジャーになっていて、「ジュニア」という愛称もごく一般的ですが…


ゴンス:当時メジャーな「ジュニア」と呼ばれる人って「スピニング トゥ ホールド」のドリーファンクジュニアぐらいしかいなかったわな。(笑)

寛斎:今なら動画で見てわかるんですが、当時はドリーが対戦相手の足をもってグルグル廻る。廻って回って回ってまわるぅぅ…
の円広志 夢想花よろしく、回りまくってましたが、あれは4の字固めの完成形に入らず、その前段階の無限ループだとは知らずに…

ゴンス:そう。だから何回廻っても与えるダメージは一緒だと思う。(笑) いつもより多く廻ろうが、止まっていようが同じだったんだよ、たぶん(笑)

寛斎:流石、エルボースマッシュのドリーですね。(笑)
で、いつもは原始人てハンドルネームで呼ぶ事なんて無いから、「ジュニア」とかその逆読みで「アニジュ」とか呼んでましたね。
「アニジュ」は英語の歌詞の歌でよく聞くフレーズ「I need you」(アイニージュ)に似てる感じで、たぶんゴンスと私はそれが面白いから「アニジュ」って呼んでたように記憶してます。

ゴンス:そんな訳で5人の「変人」による第一期Tampaがスタートしたと。

寛斎:ゲームアイディアコンテスト入賞の話は、Tampa設立時のいろんなところでの紹介でよく出てきますよね。当時私の周りで、そんな人はひろしとルート5だけでしたし、他の全国のゲーマー達との差別化ポイントではありましたよね。
もっとも、他サークルが存在していたのかもわからない状況でしたが、「ただプレイするだけでなく…」を裏打ちする実績だったことは間違いないですね。

ひろし:解散するまで、アイディア募集してたけど、実際に送られてきたことってあったっけ?

寛斎:私はひろしやルート5から、そんな話を聞いた記憶はなかったですね。

ゴンス:いやいや、そんなん、変人のひろし ぐらいしか書かないから(笑)

ひろし:ゴンスや寛斎からゲームアイディアの話ってあまり出なかったね。もっぱらプレイ派だったってことかw

寛斎:発足当時はそこまで深く考えてませんでしたね、結局ゲーム界からフェードアウトするまで、ゲームの企画って考えませんでしたよ。自分ごときがゲームを考える とか、オリジナルのドットキャラを描くとか、
全く考えてなかったです。自分ブランドでドットキャラを描いて、それが何につながるのか… すら考えてなかったと思います。
ただひたすらピュアに、メーカーさんのドット絵を模写して満足してましたね、その当時は。

ゴンス:俺はひろしとルート5のゲームに対する「度を越した変人っぷり」を隣で見てるのが楽しかったみたいで、自分で作る人ではなかったんだな。

寛斎:そんなゴンスの唯一の作品が「新人類 あきらちゃん」ってことですね。「あきらちゃん」は幸いなことに中研かロケテストのゲーセンで私もプレイしてるんですよ。企画した張本人のゴンス、メインキャラクターのモデルであるルート5、間違いなくひろしも一緒だったはずで。

ゴンス:どこだったかねぇ… 俺も思い出せない(笑) 
来週までに思い出しとくんで、また来週!