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★コンテンツ
・「会社紹介 ~第1回~namco」編 2ページ目
・1980年、全世界で最も成功したビデオゲーム、パックマンの登場
・スペースモノに飽きたプレイヤーが、「大逆転の要素」を持つコミカルモノに飛びついた?!
・アタリの倒産の危機を救ったとも言われる、日本以上に全米で異常な
 「フィーバー」ぶりだったパックマン
・シングルレコード「パックマンフィーバー」の全米2位ランキングと同LPの紹介
・Tampas並行して実施していた「短波」活動の記録。BCLログの紹介
・モスクワ放送停波による極東放送の受信とベリカードの紹介

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■ 画像 会社紹介 ナムコ編 2ページ目


丹波寛斎(以下 寛斎):でんでんででんででん♪ ホテル~♪ でんでんででんででん♪ 坪野~♪

怪獣:ひでごんす(以下ゴンス):でんでんででんででん♪ ネッシ~♪ でんでんででんででん♪ ランド~♪
でんでんででんででん♪ みんな~♪ でんでんででんででん♪ 来いよ~♪

寛斎:ということで、坪野鉱泉に行って行方不明と思われていた女性2名が、クルマに乗ったまま富山新港突堤そばの海底から発見されました。
長かったですね、発見されるまでが。2014年に目撃者がいるらしいという情報をつかんでから、6年も経ってる。
とにかく、お二人のご冥福をお祈りします。

ゴンス:あんたが会社紹介 ナムコ編 2ページ目に行くまでの月日も十分長いよ(爆) Vitamin AM創刊号の紹介だけで1年ぐらいかかってる(笑)

寛斎:いや、年末から多忙を極めてた、みたいな(笑) ことで、ご勘弁を(爆)

ゴンス:まぁ家でPC触ると、どうしても動画サイトでスーパープレイとか、ドラレコ動画とか、YMOのワールドツアーの動画とか見ちゃうんだよな(笑)

最近は何故かビーバーダムって、ビーバーが作ったダム(そのまま)を破壊して、川の流れを取り戻すというへんな動画や、詰まった下水をどばーっと流すとかいう、

ちょっと汚い動画も見ています。

寛斎:まぁそんな感じで、家だとなかなか進まない(爆) 八神純子 想い出のスクリーン ベースカバー動画を見て、後藤次利のベースラインはスゴい、とか

間奏の「ベンベン ペキペキ」言ってるのはやはりチョッパー(スラップ奏法)だったのか、とか見て…

ゴンス:そんな我々だから、世に言うテレワーク(在宅勤務)ってのがどのくらい能率上がるのか は疑問です(爆)
えぇ~、失踪事件の結末が富山新港ていうことで、事件性も疑われてますね、ネット上では。

寛斎:そもそも目撃者がその場で通報しなかったのはなぜか?! 第三者視点で考えると一番初めに思いつく疑問ですね。

ゴンス:まぁあとは富山県警に預けましょ。

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■ 画像 総カタログ パックマン と タンクバタリアン のページ

寛斎:さてさて、パックマンなんですが、ルート5評は「スペースものに飽きてきたゲームファンが新鮮さを感じた」「画面、BGMのすばらしさが感じられた」
「それに加えて…(中略)パワーえさを食う…(中略)大逆転の要素がある」「これらの内容によって、学生やサラリーマンに愛好される…」と。
当時私は駄菓子屋でしかやってませんでしたから… ゲーセンで見てたゴンス的には、どんな感じでしたか?

ゴンス:シューティング派だから、あんまり記憶に無いんだよね(笑) 
そーだね、画面と音ってのは、主にパックマンショーのことを言ってるんじゃないかと思う。
面をクリアしていくと、新しいフルーツが登場して、次はなんだろ、次のパックマンショーはどんなだろ、って先に進みたい意欲をかきたてる演出だったよね。
後にあーたがハマるスーパーパックマンでも、そういう楽しみがあったんじゃないかと(笑)

寛斎:なるほど。ルート5とひろしは、のちにセガのペンゴにも大ハマりしてました。それも正にパックマンショーと同じ「ギミック」である、
2面クリア毎に出てくる「ペンゴショー」がどうなっていくのか、それを見て二人の笑顔が爆発してたのを鮮明に思い出しますね。
スーパーパックマンのパックマンショーは、BGMも気に入ってて、ショーの最後のところでゼビウスのクレジット音みたいな「ドカピリ」って音が鳴るんですが、それが好きで(笑)
ショーの内容も「スーパー」になってて、楽しかったです。スーパーになったパックマンが飛んでいくのを、呆れたような顔で見上げる間抜けな4匹のモンスター達。
その対比がまた可笑しくって(笑)

ゴンス:4種類の敵の性格付けも、なんかの資料で結構大々的に取り上げてあったような気がする。赤は追っかけ、黄色は陰気とかじゃなかったっけ? 名前もついてたな。INKEYだっけ?

寛斎:オレンジは「おとぼけ」グズタですね。INKEYは「パックランド」のときの水色の名前で、パックマンでは「きまぐれ」アオスケって名前です。

ゴンス:このゲームでアルゴリズムって言葉を知った。あ、スペルわからない。パターンを組み立ててゲーム必勝法を成立させることができる最初のゲームだったかも。

寛斎:いや、「パターンでクリア」はそれ以前のセガ ヘッドオンとかでもあったんで、おそらくあの、「アザールート」で有名な(笑)ニチブツのローリングクラッシュとかもそうではないかと。

ゴンス:そーか(笑) 確か、パックマンはパターンを作って攻略せよ!ってのも、売りの1つにされてた。
映画のピクセルでもあったんだけど、当時のゲームはいちはやく自分なりのパターンを見つけ出して攻略する、ってのが楽しみ方だったと思うね。
どっかのMSXのパズルゲームで、パズルなんだけど敵がランダムに動くってのを買っちゃって、えらく憤慨した。
最近のゲームも当然アルゴリズムどおりに動いているんだろうけど、PCの進化でそれが複雑になってパターンって作れなくなってる(んだろうなあ)。なにしろやってないからわからないんだけど…汗。
こういう過程でゲームと向き合ってきたから、人対人の対戦ゲームが出てきたときに、「なんか俺のゲーム好きは終わった気がする」と思った。

寛斎:対人対戦ゲーム、私がやらない理由も深く考えた事が無かったですが、ゴンスと同じ思いが根底にある可能性大ですね。ホント、やってないですから。
まぁ2000年以降のゲームはお互いほとんどやんないですからねぇ。2019年末に上京してゴンスと一緒に高田馬場のミカドに行きましたが、レトロゲームばかりではあるんです。
ただ自分たちがやりたいのは、1978年~1992年頃、Tampaでやってたころから、ゴンスが一旦帰郷してリーマンになり、週末に金沢のバイパスレジャーランドとかに一緒にゲームをやりに行ってた
あのあたりまでのゲームが対象なんですよね。ただ、それ以降、2005年ぐらいまでのものは、もうレトロゲームと呼ばれているんじゃないかと思います。

ゴンス:だから、浅草ゲーム博物館で感じた「ワクワク感」と、最近のレトロゲーセンに感じる気持ちに大きな差がある訳ですな。

寛斎:浅草ゲーム博物館はやりたいゲームばっかりでしたが、ミカドのは私たちにとっては「新しい」というギャップというか…
これは私たち自身の問題であって、一所懸命に運営されてるお店側には何の落ち度も無いところなんです。だからお店に対しては謝罪の気持ちでいっぱいなんですけど。
私たちがやりたいゲーム、くくるとしたら「超レトロゲーム」とでも言っときますか(笑)

ゴンス:バイナリアナリシス的に言うなら、8ビット,16ビットのゲーム機で終わったわけですな、俺達のゲームって(笑)

寛斎:客観的に見ると、そーいう事だったんですね。
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■ 画像 タイトー TTクレイジーバルーン カタログ(裏面白紙)
  後のビタミンAM 会社紹介~タイトー編で、誤植になってるゲーム(笑) 
  詳細はその回に(笑) 
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■ 画像 タイトー TTクレイジーバルーン カタログ 筐体のアップ
  マイキャラである風船の上下左右操作用の4つのボタンと、
  その左右に1P,2Pスタートボタンが確認できる

ゴンス:あと、個人的にはレバー1本のゲームってのが驚きました。タイトーのクレイジーバルーンが上下左右にプレイヤーを動かすボタンだったので、これに近いかもしれないけど、「弾を撃つボタン」が無い、
攻撃をしない ってゲームはあんまりなかったように覚えてます。で、耐えて耐えて逃げて逃げて、逆転のパワーえさ。
「4匹まとめて食う」 の大逆転は確かに爽快感があった。俺はパターンを覚えてやった記憶はないけど、必勝法を編み出してる人々は、4つのパワーえさで4匹とも食うパターンを編み出してるんだろうな。
もちろん、2回出るフルーツも完璧にとって。

寛斎:なるほど、なるほど。それは昨今、動画サイトとかで「パーフェクトゲーム」とも呼ばれていて、1面からバグって爆走(暴走)するまでの全てのドット、フルーツ、イジケモンスターを食べ尽くす
というもの。このパターンは1面に1つではなく、作り手によっていくつものパターンがあったと思います。私は中学3年生のときに、不要になった中2のときのの生徒手帳にパターンを書いてました。
パワーえさが無効になる、カギ6面から8面、パックマンが遅くなるカギ9面以降のパターンは作れませんでしたが。

ゴンス:あんた、そこまでやりこんでたの? Tampa加入前だよね? だからあんたがパックマンやってるの、見た事無いんだわ。

寛斎:まぁ、長持ちして、楽しくて、ハマってましたから(笑)
「全米で異常的な大ブーム」「大学・教会にも進出」この辺りはどんなエピソードがあります? 私はハンドゲームがいっぱい出た、ぐらいしか記憶がなく…

ゴンス:アメリカでは、キャラクターが特に愛されたと聞いてる。やたらといろんなもんがキャラクター商品となってて、お菓子やら文具やらはもちろん、一番はパックマン便座があったと聞かされたときには驚いた。
高橋名人が靴になったぞ も驚いたけど。

寛斎:そーなんスか。タイトー開発バイトの初任給で綱島質店で高橋名人のFCソフト「冒険島」は即買いしたから知ってるけど、靴は知らなかった(笑)

ゴンス:ああ、ちょうどその時だよ。冒険島の名人が靴にプリントされてた。テレビCMで「あの高橋名人が靴になったぞ! 履けば君も名人だ!」みたいなCM(笑)

寛斎:それは見た記憶も無いです(笑) アメリカのフィバり具合とは違って、当時日本ではそこまで流行んなかったですよね。パックランドのキャラクターみたいなのが既に描かれてて、アニメとかもあったみたいですね。
で、ナムコのゲームはアメリカでは全部「アタリ」がリリースしてたとばかり思ってたんですが、パックマンはバリー/ミッドウェイって聞きました。
それはネット上で閲覧できる、岩谷さんへのインタビューにも載ってて。

ゴンス:日本未発売の「ミズパックマン」や、あんたが後にビタミンAM誌上で「出て欲しい」と言ってた「スクロール スーパー パック&パル」の先取りみたいな、
スクロールする「パックマンJr.」までリリースされていたという。

寛斎:岩谷さんへのインタビュー記事によると、ナムコ開発では「ミズパックマン」がリリースされるのは聞いてなくて、ただ、キャラクターグッズとかのロイヤリティーのバックがスゴい金額で、
もうリリースは不問 みたいな。

ゴンス:便座まで出るんだから、スゴいでしょ(笑)

寛斎:「アタリ快復」話も今回ネットで見て知ったんですが、ビデオゲームで好調だったアタリが、社長交代でアーケード注力からコンシューマ注力に。
でもコンシューマが売れなくて、ピンチになったと。そこへスペースインベーダーをコンシューマ機に移植して、スゴく売れて回復したみたい。
更に1982年になって、パックマンを導入。インベーダーに次ぐヒットとなったらしいです。
この「くだり」がたぶんビタAの「アタリ倒産から快復」なのかなぁと。
今回調べるまで知らなかったです、ナムコの全ビデオをアタリが米国展開していたのではないことを。

ゴンス:まぁ、アタリの回復はホントだったらしい。
便座にもなるくらいだからねー。キャラクター使用料で大儲けでしょう。ググってみたら、当時のTシャツ、18,000円で売ってるぞ… 確か持ってたような…

寛斎:「バックナー&ガルシア」の「パックマンフィーバー」話はいかがですか?
ゴンスからもらったLP、ちゃんと保管してありますが。


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■ 画像 パックマンフィーバー LPレコード ジャケット表裏

ゴンス:パックマンフィーバーはルート5が買ったヤツだな。ダイエーのレコードショップ、山蓄、高岡高島屋(否デパート、おもちゃ屋(笑))、開進堂などなど回ったけどなかった。

寛斎:山蓄! 金沢を本拠地とする「山田蓄音機」が略して「山蓄」を社名として、当時は高岡大和の前に高岡店がありましたね。全盛期は2階がオーディオショップになってて、
店長はオーディオコーナーにいたみたい。1階はいつもおねーさんが店番してました。本拠地金沢ではライブハウスや、香林坊で今はタワーレコードになってるところに、
輸入盤ショップ「インポートヤマチク」も展開してたんですが、レコード、CDの売り上げ減少とともに、廃業しちゃいました。
高岡高島屋は「薔薇のマークの高島屋」とは無関係の、高岡ローカルのおもちゃと楽器、音楽教室を展開するお店で、多分音楽教室だけ、今もやってるんじゃないかなぁ…
開進堂は、高岡駅前の電車通り沿いの店は楽器も売ってたはずだし、地下にはスタジオもあったかなぁ…
高岡駅地下街にも支店があって、そこで毎月シングルレコードを買ってました。

ゴンス:高岡のいろんなレコード店をかけずりまわって予約しようとしたんだけど、結局リアルタイムでは輸入されてなかったのよ。
で、なんかの機会で上京(テーカン様の招待だったか…)したときに、渋谷のタワーレコードで輸入盤を取り扱ってると聞いて入手した。
田舎モンだから、タワーレコードを探すのも、タワーレコードで盤をさがすのも苦労したなあ。ゲームファンタジア宇田川町店の先だったから、ホントはそんなに難しくない場所だったけど、
ほれ、ゲーセンしか興味ない人達だったからね(爆)

寛斎:まぁ私も大学生のときは渋谷と言えばセンター街より、ファンタジアとディスクユニオンみたいな(笑) タツミのTX-1.V8とかアイレムのバトルバードをやるために、
ファンタジア詣ででしたよ(笑)

ゴンス:で、帰ってきてからは俺はダビングしてもらって家で聞いてたし、ルート5の自宅に集まるとゼネラル(現富士通ゼネラル?)のオーディオで聞いたもんですよ。昔はゼネラルもコンポ作ってたのよ。

寛斎:昔は国産オーディオも多彩でしたね。各家電メーカーはオーディオブランドを立ち上げて。ナショナル(現パナソニック)のTechnics(テクニクス)は私たちが大好きな「スペクトラム」の「インザスペース」をCMソングに、
リモコン付きコンポ(スペース7だったか…)のCMやったり、日立のLO-D(ローディー)はニッポン放送のミュージック イン ハイフォニックでCMしまくり。

ゴンス:当時はTVもそうだったけど、コンポも「リモコンで操作できる」だけでも「ウリ」になって、三菱のロボティは「ロボティコマンダー」ってのがあったな。

寛斎:東芝のAUREX(オーレックス)、三洋のOTTO(オットー)、三菱はDIATONE(ダイアトーン)。Victorは思い出せない、そのまんまだったか…
ゼネラルのオーディオは知らなかったですね。
で、このLP、もらったけど、多分1回しか聞いてない。歌詞がわかんないから(爆) 今、検索サイトで調べた和訳歌詞の一部を見てみると…

ポケットいっぱいの25セント、アーケイドに直行だ  金は持ってないけど、全財産を持ってくぜ
指にタコはできるわ、肩は痛い  でも奴らが青くなったら、皆食ってやるから
だって俺はパックマン中毒 俺を夢中にさせるのさ  まさにパックマン熱 もう何も考えられない

和訳すると、ルート5の言う通り、「曲の内容はたあいもないもの」ですね。曲のオープニングにパックマンのスタート曲がそのまま「ズドュドュドュドュドュ…」って
使われてるのが大きなポイントかと(笑)

ゴンス:あんたがラジアメで「ラジオからゲームの音が」と喜んでたのと同様、全米で「ラジオからパックマンの音が」ってフィバってたんだろーな(笑)
まぁ俺も喜んだ(笑) 結構楽しく聞いて、覚えてる曲もいっぱいあるよ。


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■ 画像 パックマンフィーバーLP ジャケットステッカー

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■ 画像 パックマンフィーバーLP インナージャケット cherryパターン
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■ 画像 パックマンフィーバーLP インナージャケット apple~9th keyパターン1~3


寛斎:ルート5の紹介はシングルレコードなんですが、その後「Do the Donkey Kong」とか「Froggy's Lament」他を加えて、LPにしちゃったという。
今回30年振りぐらいでジャケットから出してみました。ジャケットのステッカーをよく見ると、「プラス スーパーボーナス 必勝法封入」みたいに書いてある!
これをもらった当時、というか、Tampa加入後は既にPacManはやらなくなっていたので、「パターン紹介」に全く興味ナシだったんですが、cherryとか
9th keyとか書いてある。上で書いてたカギ9面までのパターンが紹介されてます。裏面はそのカギ9面までの通称「リンゴパターン」の別バージョンが2つ紹介されてます。

ゴンス:行きあたりばったりでやってたから、これは俺も興味ナシだったはずで、記憶に無かったな。

寛斎:日本国内でどんなパターンが使われていたのか、調べた事が無いんですが、高岡のウチの中学校区では、1面からカギ9面まで全部、スタートして左に動くパターンでしたが、
この紹介されてるパターンは全部逆で、スタートしたら右に動くパターン というのが、少し探求心をそそられますね。

ゴンス:今更パックマンのパターンで右往左往してるのは、全世界であんただけだよ(笑)

寛斎:そーでしょーね(爆) 突き詰めると深すぎるし、パターン話はここまでにします(笑) 
で、トラック3のセンティピードはなんとなく知ってますが、トラック7のMouse Trap、トラック8のBerzerkは日本では見たことも聞いたことも無いゲームですね。

ゴンス:この辺りは俺も知らないな。高岡では海外のゲーム情報もほぼ入らなかったので、Tampa海外進出構想(笑)ってのも計画してたんだよ(爆)
各社にレポートを書き、カタログくれ活動をしていたが、それがエスカレートし、海外にもという話なった(笑)
実際に送った記憶は無いけど(爆) 会の概要とか、結構真剣に英文で考えた。創刊号の発足経緯のページをまるごと、英訳することに大真面目に挑戦しかけてたんだよなあ…

寛斎:それはまた遠大な計画ですね! 一緒に活動してましたが初耳。企画書とかが残っていれば、更にウケるんだけど(笑)

ゴンス:HELLO、ウイアータカオカアミューズメントマシンプレイヤーズアソシエーション フロム ジャパン。
ウィライクビデオゲームベリーマッチ インジャパン。ウイアーハイスクールスチューデント。(中略)
プリーズギブミーカタログ サンキュー。フロムジャパン。

寛斎:この辺りはBCL時代のベリカードをもらうための受信報告書提出に通じるモノがあるカモですね(笑)

ゴンス:書いたね~、受信報告書。SINPOコード。説明よろしく!

SINPOコード

BCLブック

■ 画像 SINPOコード解説 出典:入門BCLブック(昭和)55年版

寛斎:SINPOコードとは、受信状態を5つの指標で示したもので、5段階評価となってます。Sは信号強度。その放送局の電波の強さですね。Iは他局の混信の有無。Nはノイズ、雑音の有無。Pはフェーディング。電波に強弱の波があるかどうか。
Oは総合評価。当時は便せん状に印刷された受信報告書の他、いろんなアイテムがアドカラーって会社から出てました。

ゴンス:国内はもちろん、海外にもたくさん送ったな。エアメールで。北京放送、VOA ボイスオブアメリカ、ラジオオーストラリア、ソ連の放送局もなかったっけ? この経験が海外へぶしつけな手紙を送ろうと企てる経験になってるわけだな。

寛斎:モスクワ放送ですね。ダイヤル1242 ニッポン放送の1つ上、1251KHzで1000kwと強力な電波で日本全土をカバーしてました。ロシアの声と改称された後、今はラジオ スプートニクに引き継がれたとのことです。
非常に汚い字ですが、BCLログに残された受信記録を1つ紹介します。
1983年9月20日の午前3:04~3:56の1251KHzの受信記録です。この1983年9月に大韓航空機撃墜事件が発生。今回ネットで検索してもHitしませんでしたので、どれぐらいの期間かは不明ですが、
当事者とされるソ連のモスクワ放送が停波しました。そのときに、同一周波数で沖縄から送信されていた極東放送が微かに聞こえたという記録です。
当時は自宅の高さ8mのところにアンテン製垂直アンテナAW-1を建て、それを自室に引き込む途中に南北面に向けた逆L型アンテナをかませて、ソニーのICF-6800をメインリグにして聞いてました。
それでも沖縄は高岡からあまりにも遠く、5kwの電波は信号強度評価「3」とそんなに強くない。そして、中国語局と1242KHzのニッポン放送の混信が強かったと記録されています。
3:18にフィルターと書いてあり、混信が改善されたと記録されているので、ヘッドフォンから聞こえる音をオーディオプロセッサーという装置で加工して、明瞭度をupさせて聞き続けたようです。
が、3:56には受信不能になり記録も終わってますね。

BCLログ

極東放送ログ

■ 画像 アドカラー BCLログ 表紙と極東放送の受信記録

ゴンス:地元北日本放送が738KHzで、同じ周波数で琉球放送が、こちらも沖縄から送信されてました。これも聞こえなかったな(笑)

寛斎:ウチの設備では琉球放送は北日本放送のエンディング後に微かに聞こえたりしてましたよ。受信報告を送ってベリカードももらいました。極東放送が高岡で聞けたのは、後にも先にもこのときだけ。当然受信報告を送って、
当時のJAL沖縄キャンペーンガールだった津島要のベリカードを(σ゜∀゜)σゲッツ(笑)
その後極東放送がどうなったか、今回調べるまで知らなかったのですが、この受信のわずか1年後の1984年8月31日をもって1251KHzでの中波放送を終了し、翌日からJOIU-FM 那覇 87.3MHzのエフエム沖縄になったそうです。


極東放送

■ 画像 極東放送 1983年10月頃のベリカード

ゴンス:いい、いいな おい(笑)(11 117 01) 貴重なベリカードになりましたな(笑)

寛斎:NTT西日本BフレッツCMk近藤芳正ですか(笑) 
さて、大分脱線しましたが、本誌に戻って… ルート5は倒産寸前だったアタリを「(ブロックくずしのメーカー)」と紹介してますね。ブレイクアウトのことですよね。私たちにとってアタリと言うと、
「マーブルマッドネス」以降を主に指し、それ以前の「メジャーハボック」とかはタイトーにあったVHSテープに録画されてるのを見るまで知らなかったですよね。

ゴンス:その当時のアタリはアーケードより、家庭用ゲーム機の認知度が高いね。2600とか2800とかあったですな。日本では買えなかったから、情報だけ入ってきて、「欲しいなー」って発起人3人で言ってたよ。
アクティビジョンとコレコビジョンの3巨頭。のちの日本のファミコンとプレイステーションとPCエンジンみたいなもんだね。アーケードはセンティピードとか地味なゲームとアメリカっぽいワイヤーフレームのゲームが印象に残ってるけど、
ウイリアムズ、バリーとか海外のゲーム会社のは作りが似ててあんまり区別つかなかったね。ワイヤーフレームのスターウォーズは好きでした。映画はほとんど見てないけど。

寛斎:時期的に言うと、アタリでスペースインベーダーやパックマンが出来たころですかね。それは欲しいですよね。日本では1983年のファミコン発売までは、本格的なカセットゲームは無かったですからね。
エポック社のカセットビジョンはドットがデカ過ぎで、ゲーセンのゲームのような画面表現ができなかったですからね。私はアタリとかコレコとか、全然知らないから、カセットビジョンでも「スゲー」と思ってましたが…

ゴンス:アタリを知る我々としたら、ちょっと物足りなかった。

寛斎:そして発起人と私が出会うきっかけにもなったDigDugがついに発売。1982年3月1日と言えば、高校入学の年で、
ゲーセンで補導されなくなるからDLL(ダイエーレジャーランド)入り浸りになった年です(爆) 創刊号が出た1982年6月でも人気ナンバーワンのビデオゲームだったようです。
ルート5はヒット理由も高校生なりに分析してますね。「キャラクター、画面、BGMが超一流である などが考えられるが、最大の理由はオリジナルな攻撃の方法にあると言えるだろう」と言ってます!

ゴンス:キャラクターとBGMはあんたがハマったとおりだわな。プーカって、何がモチーフなのか、さっぱりわからんけど、のちにキャラクターグッズがアホみたいに出てくる。キャップに風船人形に豆本に…

寛斎:Mr.ドットマン全仕事によると、当時ナムコ開発にバイク通勤者がいて、ヘルメットがモチーフになっていたらしいですよ。

ゴンス:へぇ~、そうだったんだ。それで、あわよくばこれら大量のグッズをもらいたい! がTampa発足のホントの要因かもしれないと思ってるよ。
さすがに便器はなかったか。あんたもたくさん買ってたね。あ、そうそうつい最近までおふくろが無料バス券入れにマッピーのパスケース使ってて驚いたよ。

寛斎:マッピーパスケースですか! 買った記憶無いなぁ、私は。ナメゴンは買ってそうですね。
「オリジナルな攻撃の方法」の「プクプクポン」と「岩での潰し」ですが、DigDugもパックマン同様に、岩下に誘って全滅させるパターンの開発に挑戦してましたね。ただしベジタブルターゲットは岩2つを落として数秒後に出てくるので、
これを全て獲得するところまではパターン化してませんでした。1~9面まではほぼ全滅させるパターンを人のを見たりしてパクったり、改善したりしてましたね。

ゴンス:俺はそんなにパターンに執着してなかったかなぁ… 
でも、結構先に行くと、いつも行き当たりばったりでは進めなくなって、ひろしとふたりでコンティニューしながら、パターンを共有していった覚えがある。
たしか、コンティニュー設定って通常はされてないから、コンティニュー設定してあった日高商会(高岡ステーションデパートのゲーセン、愛称:ション)でやったな。
そうだそうだ。9面だよ、そうだ。そこまでは楽にクリアできるけど、それ以降はパターンを確立させてないと進めなかった。そこまで腕を磨いたのは日高でハイスコアラーには豆本プレゼント!があったから。

寛斎:なるほど、そんな理由が。豆本はあの遠藤氏も執筆にかかわっていたらしいです。私は入手方法をナムコに聞いてたみたいです。返信のハガキが残ってます。(笑)
そしてルート5お得意の「一発逆転の要素」なんですが、パックマンはモンスターが復活するから1面で4回の大逆転なんですが、DigDugは一撃必殺で、モンスターも数が多いし、得点も高い。
全滅させたときの爽快感はパックマン以上だったし、「俺のパターンはこれだ」みたいにドヤ顔してましたね(笑)

ゴンス:いや、俺達なんかしばらくすると早く先に進みたいから、「パターンだやい(だりー)」とモリで連射してパンクさせまくり。勝負は10面以降! 

寛斎:いやぁ、全滅パターンも、そんなに時間かからなかったですよ(笑) 一撃必殺だし(笑) 話し出すとついつい長くなりますね(笑)
次回からはベストヒットオブTVゲームの第3位から1位を掘り下げます。

ゴンス:ということで恒例の See You Next Week!(笑)