001-03-01
★コンテンツ
・「新製品を斬る! プロテニス編」紹介
・根城「フォル」での業界誌との出会い
・デコカセカタログ 愛称「総括」(笑)の紹介
・任天堂 ファミコン用テニス カタログの紹介
■ 画像 新製品を斬る! ページ
丹波寛斎(以下 寛斎):ダイナミック~♪
怪獣:ひでごんす(以下ゴンス):ダイクマ~♪
寛斎:という訳で、オープニングジングルのネタも尽きてきましたが(爆)
ネットで調べたら、ダイクマは2013年にヤマダ電機に吸収されちゃったんですね。
ゴンス:もう冒頭のCMもやってないよ(笑)
寛斎:さてゴンスのコーナー、「新製品を斬る!」ですがこのコーナー、というより、ゲーム同人誌の内容として何か参考文献とかがあった?
ゴンス:いや、それなんだけど、当時は自分達が作ろうとしているもの以外にゲーム同人誌を見つけられていなかったし、ゲーム雑誌もないから、根城である「ゲームズ カリフォルニア」(以下、メンバー間愛称の「フォル」と表記)で見せてもらってた業界誌の掲載記事とかにヒントを得てたんだよね。
寛斎:他の同人誌も活動してたかもしれなかったけど、業界誌やパソコン関係の雑誌でもそういったサークルの紹介もなく、ひろしのブログで書かれている通り、「他に同じことをやっている人たちはいないだろう」という自負もあって、
自分達で何か考えないとダメだ、みたいな感じですかね? それにゲーム雑誌の始祖だと私達が思っているAMライフは1982年6月当時はまだ出てませんしね。
ゴンス:そうなんだよね。話しててまた思い出してきたんだけど、潤沢な資金の無かった発起人一同は「フォル」に入り浸るうち、「フォル」関係者と仲良くなっていったんだわ。
当時の業界誌やAMライフの取材時にも親代わりとして対応してくれた海老江社長や矢田さん兄弟に、メンテ全般のメインであるクマさん(愛称)と。
寛斎:私の記憶ではこれがフルメンバーだったような… 事務員もいましたかね?
ゴンス:事務員は… 俺も思い出せないな。(笑)なにしろ35年前だから(爆) で、「フォル」は1階がゲーセン、2階が運営会社である「オリエント海渡」の事務所になっててね。
ゲーセン奥には筐体メンテや新ゲームのハーネスを作る作業場があり、仲良くなるうちにノックひとつで作業場に入れてもらえるようになったんだわ。
その作業場はゲームのカタログ、基板などなどがあふれる夢の世界で、ここで業界紙と出逢うんだよね。「こんな本、あるんだ」と。
寛斎:私もTampaに参加するようになって、「夢のスペース」に入れてもらえるようになりましたよ。(笑)
スチール棚にゲーセンから引き揚げてきた基板が箱に入れて置いてあって、箱の側面にゲーム名と保管年月日?!ですかね、が書いてあって。
そんな箱が山積みになってて…
そのうちの1つがウチにあるんですけどね。
■ 画像 フリスキートム 基板保管箱
ゴンス:そう、これこれ、この箱です。他にどんなゲームがあったか、もう記憶に無いよね。
寛斎:そのうちの1つ「スーパーコブラ」は前述の箱無しですが、基板だけウチにありますね。
ゴンス:それはルート5の家にあったDECOアストロファイターの筐体に入れて、あんたの家に置いてったヤツの残りだね(笑)
寛斎:当時、高校の同級生の同級生(要するに知らない人)の家に中学時代に「ダイヤルインベーダー」(砲台をレバーではなく、ブロックくずしのパドル操作同様、ボリュームスイッチでやるというシロモノ)を持ってるヤツがいた
という話を聞いたことがあるんですが、筐体が家にあるヤツの話は、後にも先にもこの人だけ。
が、そこは変人集団のTampaですから、やっぱり家に筐体がある、と。ルート5は父上の仕事関係から、アストロファイターを筐体ごと入手。ビタミンAM 第2号のDECO会社紹介でも少し触れてますよね。
あとはゴンスの家にも任天堂のブロックくずし「モンキーマジック」があった。異様に巧かったような記憶がありますが(笑)
ゴンス:どこから持ってきたのか、思い出せないんだけど… 現実的な話、フォルから捨てるヤツをもらったのか…
寛斎:ルート5のタイトー就職で、そのアストロファイター筐体にスーパーコブラが入ったヤツを譲り受け、フリスキートムの基板を「ある筋」から入手して、ニチブツからもらったハーネス図を元に自分でハーネスを作って、
Tampaのみんなが好きなあの木琴サウンドを死ぬほど自宅で楽しみましたよ。
その後は大学時代に、三島営業所に行ったゴンスからタイトーテーブル筐体 ゼビウス入りを3万円で買って…
大学時代のアパートには、ベッドサイドに2台の筐体を並べて、テーブル代わりに使ってましたね。
ゴンス:まぁ当時のゲーム変人度を測るものとして、自宅に筐体があるか、ないかってのはあったんじゃないかなぁと思う(爆)
寛斎:今はゲーム基板をTVにつなげて楽しめる、ジョイスティック一体のボックスとかがあって、家でもやりやすくなりましたよね。大学時代の親友で柴又の及ちゃんも、最初にフィッシングが入ったDECOカセ筐体を
(σ゜∀゜)σゲッツしたけど、その後キョーワだったかの箱を買ってましたもん。
ゴンス:俺はその「やり易くなった頃」にはもう、家でアーケードを とは思わなくなっちゃってたけどね。(遠い目をして)
寛斎:そっスね。でまた話を戻して、業界誌、業界紙では新ゲームリリースのたびに、画面とか筐体の写真と希望小売価格、ゲーム内容が短評で紹介されてましたよね。
ゴンス:「新製品を斬る!」はそれとほぼ同じなんだけど、業界紙のは「作り手側」「売り手側」からのコメントだった。それをプレイヤー側から書くことにこの記事の意味があったと俺は思ってる。
寛斎:いつに無く「マジ」ですね。
ゴンス:いや、俺、このコーナーだけで、あとは他の2人に任せてたからね(爆)
寛斎:そういう「裏事情」ですか(笑)
寛斎:で記事を見ると、「デコカセ」のメリットをあげてますね。デコカセって、カセットと何か「モジュール」みたいなのでセットになってたような記憶があるんですが、
何かご存知ですか?
ゴンス:いや、その辺りは漆原さんと渋谷洋一に任せてるからね(爆)
■ 画像 DECOカセットシステム カタログ 愛称「総括」(笑)
寛斎:もう憶えてないですか(笑) カタログを見たら、ペアモジュールも交換と書いてますね。ルート5がDECOの会社紹介でも「すぐに変えられるメリットのために、逆にすぐに変えられてしまって一度も遊べなかった」みたいに書いてますね。
ゴンス:ダイエーレジャーランドでも、デコカセ筐体は1台しかなかったから、新しいゲームが出ると、前のヤツは無くなっちゃってたね。
寛斎:それがデコカセの「さだめ」ってヤツでしょうなぁ… カセットシステムの筐体をソフト発売の度に増やしてたら、オペレーター側のDECOカセメリットはなくなっちゃいますしね。
ゴンス:そーだよね。DECOカセ筐体が大量に並んだロケーションなんて見た事なかったよね。
今回の原稿を推敲してるときに、大堀氏のゲーム文化保存研究所のページで、ドンピシャな記事を発見したんだよ。これを読めばデコカセの全てがわかる、みたいなね。
寛斎:拝見させていただいたんですが、記事の内容が素晴らしい! ということで、即、リンク可否問い合わせしてOKをいただきましたので紹介しておきます。私ごときではここまで掘り下げて記事にできなかったですね。
リンク 「デコカセ」その革新性と衰退の歴史 ゲーム文化保存研究所
ゴンス:まぁ、ひろしと俺とあんたの記憶と、保存してきた会誌原稿とカタログに頼った内容だからね。当時、ここまで詳しくは知らなかったし、現在のゲーム基板事情は知る由もないし(爆)
さて「プロテニス」に話を戻して、まずはゲームの視点なんだけど、アタリの「ポン」系の2次元無機質テニスから、3次元テニスに一気に変革。この後、任天堂ファミリーコンピューターのテニス、DECOの後継機種スーパーダブルステニスと、同一視点のテニスゲームの大元になってるね。
■ 画像 スーパーダブルステニス カタログ
■ 画像 40-0 チラシ
寛斎:タイトーの40-0(フォーティ-ラブ)もですかね? ちょっと視点が違ってましたかね?
最近何かで見たんですが、タイトーで大好きだった「アウターゾーン」が、「40-0」へコンバージョンキットで変更できることを知りました。だから巷の「アウターゾーン」現存数が極端に少ないのかなと。
ゲームサウンドまにあ なら御存知かと思いますが、「アウターゾーン」のBGMはあの小倉さんですからね。ゲーム内容も好きでハマりにハマってましたが…
えぇ~、二人があんまり「プロテニス」をやってなかったので、たびたび脱線しますがまた話を戻して…
「初心者がやってもある程度長持ちする…」私達にとって重要なフレーズですね(笑) 私も要素のひとつとして重視してました。何しろ資金が潤沢ではない(笑)
ゴンス:そうそう。「長持ち」だけならニチブツ ローリングクラッシュ(後の号のコーナー「これがナンバーワン」に登場し、AMライフでもその記事が紹介されました)だけど、
楽しくて、「そこそこ」か「じっくり」遊べる、というのは当時のTampaにとって重要だった(笑)
それにピタリとハマったのが、ニチブツ フリスキートムだった と(笑) 俺達みんな、始めたら終わんなかったもんね(笑)
寛斎:だからニューフリスキートムが出たり、海外版は別のルールのゲームになったんでしょうなぁ…
ウチの基板はプレイステーションのソフトには入ってない、オリジナルの初期版ですからね。
ゴンス:やっと基板発掘したらしいじゃない? 長野の業者さんで、JAMAハーネス作ってもらう話はどうなった?
寛斎:そのうちweb Tampa連動企画とかで、業者さんも紹介しつつ作ってもらって、家でふたたびプレーするところを掲載したいですね。
ゴンス:そのときはまた遊びに行くから(笑) それでプロテニスだけど、俺もあんたがやってるところ、見た記憶がない(爆)
寛斎:私はBGMが聞きたくて何回かやりましたが、すぐ負けて終わってしまい、BGMも楽しめませんでしたね。ゴンスがやってるところ、見た記憶が無い…
ゴンス:まぁ、結局そんなに「長持ち」しないし、スポーツモノはそんなに興味なかったんだろうね。この原稿、あんたが加入する前に書いてたかもしれない。
寛斎:となると、レビュー後はやってないんでしょうなぁ(笑) だから私がゴンスのプレイ姿を観た記憶が無い、と(笑)
ビジュアル的には、コートに3色使ってますね。カタログのイラストは緑1色なのに。何か理由があったんですかねぇ…
あと登場キャラですが、球、プレイヤーと少なく、プレイヤーはヘコヘコと動いてるから、ドットの模写は難しかったですね。模写しようと思わせる魅力にも乏しかったですが。(爆)
ゴンス:コートの色については、あんたに言われるまで考えたことも無かった(笑) 登場キャラクターが少な過ぎ、それは俺も書いてるね。「もう少し多く出てきたら。例えば審判とか」って。
寛斎:それに呼応する形なのか、任天堂テニスはマリオ似のヒゲ審判が出てくるんですかね。確か、球の行方を追うような顔の動きと、吹出しで「Deuce」とか出たり、そのように聞こえなくもない合成音、
合成音声ではなく「音」で「ヂュース」なら「ピーポ♪」みたいな、ね、それが出てたと記憶してます。
DECOの正式後継機種 スーパーダブルステニスでは、ボールガールまでいて、ネットに当ったボールを高速で拾いに行っていたような記憶が…
ゴンス:脱線話の方が長いんだけど、トータルで話が長くなったな(爆) ということで、続きはまた来週だな(笑)
コメント
コメント一覧 (4)
諸々が欠落しておりまして、先人に対するリスペクトの姿勢も、歴史を体系的に捉える力も足りてなくて、ちょっと“もや~ん”としておりましたが、桃源郷のようなオリエント海渡の事務所に思いを馳せつつ、ここの文章を読んで元気になりました。w
デコカセのカタログ、愛称は『総括』は最高ですね!
スペースウォー(カメレオンアーミー)をみんなレジャックと呼んだ的な。w
【歴史に埋もれたメディア】
https://www.gamepres.org/2012/03/27/mediahistory/
デコカセ関連の研究は、その別項のIGCCの記事にある通りに、フランス人のルドン・ジョゼフさん率いるゲーム保存協会の活躍が大きいです。というか、デコカセの保存と現在の世間的な周知に関しては殆どジョゼフさん一人の頑張りが大きいと言えます。
彼の気合は凄いですよ。やる気が違いますわ。という感じで、海外勢の中でも特に懇意にしている方ですが、自分も日本代表(?)みたいな気持ちで、海外の研究者と協調してやっていきたい。と行動を共にしています。
丹波寛斎
がしました
でも例えばメガドライブFANの項では、ゲームフリーク(田尻さんと杉森さん)が連載していたセガ・アーケード・ヒストリーの記事に触れ「マニアック過ぎる企画」と賞賛し、ゲームフリークにもチラっと触れているんです。
一方のBEEP!メガドライブの項では、漆原龍之介・渋谷洋一コンビのバイナリーアナリシスには一言も触れてなくて、こんなだから生前漆原さんが怒髪を突いていたんですよ。
いえいえ、当時の開拓者たるみなさんの気合に比べれば後身の我々なんぞまだまだスよ。
丹波寛斎
がしました