001-03-02
★コンテンツ
・プロテニス そのサウンド
・1980年代のテニスブーム
・プロテニスカタログの紹介
・プレイヤーキャラ「HER」のドット絵
丹波寛斎(以下 寛斎):でんでんででんででん♪ ホテル~♪
怪獣:ひでごんす(以下ゴンス):でんでんででんででん♪ 坪野~♪
寛斎:オープニングジングルのネタ、完全に尽きましたね(爆)
さてプロテニスのサウンドですが、オープニングは曲というより「ジングル」ですよね。他は勝ち曲と負け曲、ずっと流れてるBGMで4曲(?)と少な目でした。
ゴンス:あんた録音してたけど、すぐ録り終わっただろ(笑)
寛斎:そっスね(笑) なんでこの当時にテニスなのかなぁと、ネットで検索すると、1980年頃からテニスブームだったようですね。高校の通学路にもテニススクールがありましたね。
ゴンス:車のCMにマッケンローが出てきたり。
寛斎:マンガとアニメのエースを狙えは、1970年代前半と1978~1980年に国内で流行って、少女間にテニスブームを起こしたとネットで調べると書いてありますね。
実際の人がプレイするテニスの方は、あまり日本人のイメージ無かったですよね、テニスブーム。だからカタログも外国人女性のイラストなのかなぁ…
■ 画像 プロテニス カタログ表
ゴンス:まぁどのカタログも「日本人然」としたキャラが出てくるのって少ないんじゃない? だからまぁ、外国人女性が書いてあるのも普通の事かもね。
寛斎:最後、スマッシュの打ち方を把握しにくい点ですが、カタログでも分かり易い説明みたいなことは書かれてないですね。最近動画投稿サイトで上手い人のプレイを見てたんですが、ヂュースになってなかなか勝てない。よくよく見てみると、わざとマッチポイントにして、延々とヂュースにしてるんですよ。
ゴンス:点数稼ぎ?!
寛斎:地味なんですが、どうも点数稼ぎみたいです。ポイントシステムとして、高次ラウンドになるほど基礎点があがるようなんですが、難易度が上がるから低次ラウンドで点数を稼いでたみたいです。
ゴンス:他に何か補足することある?
寛斎:そうですねぇ、プロテニスはプロシリーズ第2弾ということなので、その後の続き等を「アーケードTVゲームリスト」を参考に引用させていただこうかと思います。
このリスト本、アミューズメント通信社さんから出てるんですが、Tampa活動当時は会誌ビタミンAMと『ゲームマシン』を交換してくださってましたよね?
刊行タイミングから言うと、隔月発行のTampaは「オマケ」していただいてたんだと思います。この場をお借りして御礼申し上げます。また、今後度々「アーケードTVゲームリスト」を参考にさせていただき、その際は今回のようにその旨明記致しますので、宜しくお願い致します。本はもちろん購入してます。
プロゴルフ 1981年8月
プロテニス 1982年6月
プロサッカー 1982年8月
プロポウリング 1983年3月
ゴンス:ゲートボールも無かったか? あの「パワーゲージ」が「じいさんの顔」になってるヤツ(笑)
寛斎:「プロ」と付くのが上記までで、それは「ハローゲートボール」というタイトルで、「プロ」じゃないんです。
1984年以降のDECOカセ スポーツモノ
スーパー ダブルステニス 1983年9月
スクラムトライ 1984年3月
ファイティング アイスホッケー 1984年4月
大相撲 1984年5月
ハロー ゲートボール 1984年8月
※以上2グループの発売年月は「アーケードTVゲームリスト」を参照させていただきました。
高校生のときに近所で老人がゲートボールやってるのを見て、「40歳になったら始めよう」と思ってました。巧い人はホントに楽しそうなんですよ。
「タッチ」して「スパーク」とか言って相手チームの球を場外に弾き出したりして。異様な盛り上がりに、日曜の朝には「おはよう!ゲートボール」って番組が1983年4月から1986年3月までやってたようです。
ゴンス:なんか番組とゲームタイトルが似てるな。ハローゲートボールの発売が1984年8月、番組が1983年4月からだから、DECOのゲームは番組をモチーフに作った感じか(笑)
寛斎:ゲートボールブームはその後急激に衰退。ネットで見ると「娯楽の多様化」が原因と書いてありますね。まぁ、40歳になってみると誰もやってないので、始めるのをやめました(爆)
ゴンス:俺達もそんなこんなで50代ですよ(笑)
寛斎:こうしてリストを見てみると、スクラムトライはなんとなく存在を知ってた感じ。もしかしたら拠点のダイエーレジャーランドにも入ってたかもなんですが、ファイティング アイスホッケーと大相撲に至っては、今回リストで見て初めて知ったような感覚。
ゴンス:発売時期が前後するかもだけど、当時の記憶でホッケーと言えばSEGA/アルファ電子のブルファイター、相撲と言えばテクノスジャパンの出世大相撲の印象が強くて、DECOカセの2タイトルは記憶にないなぁ…
寛斎:ネット調べでは、出世大相撲は、SNKから発売されたと記録されてますね。ビッグプロレスはテクノス/DECOでしたが、テクノスはSNKにも売ってたんですねぇ…
さて、プロテニスについてはネタも切れてきたことですし、当時は基板購入してディップスイッチとかで静止(はんちゃん小僧がやってましたが、DECOカセでそれが可能かどうかは不明です)しない限り拾えなかったプレイヤー「HER」のドットでも載せて終わりましょう。
今でもドットを拾えるか、試してみたんです。まぁ当時拾ってたことに意味があるのであって、現代のスッキリカクカクと表示される液晶モニターで見れば、誰でも拾えますよね。
と思ったんですが、もう少し高解像度の液晶モニタで画像取り込まないとカクカク度が低くて今でも拾いづらいですね。にしても、今更の感がある作業ですね(爆)
EXCELシートで簡易ドットキャラジェネレータを作って拾ってみて、画面の画像と並べてみました。大体来てるでしょ? 右がゲーム画像の拡大、左がひろったドット絵です。
ゴンス:あんた、まだ拾いをやってたの(笑)
寛斎:今回はちょっとビジュアル的に寂しかったんで(爆)
このプレイヤーキャラクター「HER」は、16×16ドットに納まってないみたいで、16×32ドット、4パターンで左右に歩くアニメーションにしてるみたいです。
見た目を画像に合わせようとすると、縦長のドットになります。
ゴンス:ということで、また来週。次は ルート5 渾身の連載企画「会社紹介 第1回 ナムコ」の1ページ目だよ。(笑)
寛斎:拾ったキャラの残りは、またDECO会社紹介時にでも紹介しましょうかね(笑)
コメント
コメント一覧 (6)
ドット絵拾い技術は現在も壮健で素晴らしいです。
Mr.ドットマン然り、業界が2Dのドット絵ゲームから、3Dのポリゴンゲームに移行し、その技術の復活は携帯電話(ガラケー)の登場まで待たねばならなかったと思いましたら、今度はスマホが出てきて、またもや高精彩化のプリレンダされたグラフィックに取って換わられ、寛斎さんの技も何処かで活かせればいいのなぁ、と。
(このブログで大いに活かされておりますが)
こちらはコミケでドタバタ。
ようやく落ち着いてきたかと思ったらプリンター(複合機)が壊れてバタバタ。
と、慌しくやっております。
丹波寛斎
がしました
ファミ通の熱心な読者だった身としては感激です!
ひろしさんが「みんなで会おう!」と言っておられましたが、「いえいえ、まずはみなさんの旧交を温めて頂ければ」と!(^_^;
何十年とお会いしていないわけですからね。
でもTampaのメンバーが再び結集すれば、「やー」でも「おー」でもなく、すぐにあの頃に戻られるのでしょうね。
その後でみなさんの輪の中に新人の自分も遊びに行かせてください。w
ヴォルガードのエピソードも面白いですねぇ。
これも後に単独記事化希望です。^^
あの時代のゲーム誌の記事には、もろドット絵をサインペンで描いたイラストカットや単純に着色されていたものとかが付記されていましたよね。それも、そういうイラストカット要員の需要があったのだと思いますが、ちょっと惜しいことをしましたね。
あとやっぱり忙しいの最大はMr.ドットマン本の3巻目が山場に次ぐ山場で大変なことになってます。
全体900ページの最後の300ページなんですが、とにかく色々と大変で苦悶してます。w
現在はリブルラブルのページの作成をしていまして、「やっぱこの頃のナムコゲーは最高だわい」という気持ちは癒しなんですが、中々ページ化で苦戦している最中です。
でも楽しくもがいていますよ。
丹波寛斎
がしました
バシシブック in 90'sですよね。勿論所持しておりますよ!
ゴンスさんの万感に迫る『まえがき』、今まさに読み返しています。
凄い熱量の高い本で、寄稿が本当に贅沢でした。
みなさんと何時か会える日を楽しみにしております。
ブログの方はじっくり参りましょう!
丹波寛斎
がしました