001-04-03
★コンテンツ
・No.6 ニューラリーX の紹介、カタログ、ドット絵、ポップ
丹波寛斎(以下 寛斎):Best Hit of TVGame!
怪獣:ひでごんす(以下ゴンス):次回のチャートはどーなってるんでしょーか♪ みなさんからのゲームアイディアを待ってます。
寛斎:小林克也氏、ゴンスも私も好きでしたねぇ(笑) スポーツ天国! とか、料理天国!とか、チェリーコークとか、ね(笑) 次回のチャート、出なかったですよね?(笑)
ゴンス:まぁまぁ、その辺はCM上の演出ってことで(爆)。富山県は当時民放テレビが2局(日本テレビ系KNBとフジテレビ系富山テレビ)しかなかったから、知る由もなかったけど、ベストヒットUSAのパロディーというか、パクリというか、オマージュというか、そんな感じでしょうな。
後に上京して知ることとなるんですが。そういや、ドリフの『8時だョ!全員集合』も高岡じゃ見られなかった。今は、TBS系もテレビ朝日系も映るそうで。
寛斎:当時は金沢に向けて素子数の多いアンテナを高くあげれば、TBS系のMRO北陸放送が、多少のザラつきを伴いながら視聴可能でした。なのでウチは当時ドリフも見てましたよ。
ベストヒットUSAは当時テレビ朝日系だったようなので、金沢でも見れてなかったんじゃないですかね。だから、北陸のゲーマーは当時、ナムコのこのCMの元ネタはわかんなかったでしょうねぇ…
高岡ではその後ケーブルTVが開局、地上波デジタルになる直前には、金沢の民放TV4局も視聴可能で、高岡では富山の民放3局と合わせて7局も見れたんです。
それが何故か、地上デジタル放送になったら、ケーブルTVで見れるのが富山の3局と北陸朝日の計4局に減少。フジ系の石川TVなんかは、同じフジ系の富山TVがネットしない面白い番組とかが見られて面白かったんですが、残念です。
ゴンス:富山のTV事情今昔、そこまでは知らなかったな。
寛斎:まぁ住んでないとわかんないですよ(笑)
さて、興味深いのは、このチャートもルート5の会社紹介の「さわり」同様、ギャラクシアン以降のゲームしか出てこないということ。ボムビー、ジービーはまだしも、ギャラクシアン以降だけどキューティーQは入ってないんですよね。
だから私は「オールアバウトナムコ」が出るまで、キューティーQの存在を知りませんでした。ディグダグ発売前、ボスコニアンが最新機種だったときの国内版総カタログにもやはりキューティーQは出てないんです。
ただ、Mr.ドットマン全仕事 前編に掲載されている同じカタログの海外版には、キューティーQが掲載されてるんですよね。
ゴンス:キューティーQはどこかでやったことがある。どこだったかな… 富山の太陽デパートはナムコ直営のゲーセンがあって、そこだったか、どこかのボーリング場だったか…
要するに覚えてないんですが(爆) とはいえ、ボンビー、ジービーより、動くターゲットが増えたのと、ブロック崩し要素が多くなってる(ブロックの数が増えてる)ですな。
なんちゅうか、うちにあったモンキーマジック(任天堂)と似てますな。まぁ国内でのパドルゲーム需要が一旦終息と判断したかね。
寛斎:そういうことでしょうねぇ… その後、1986年になってルート5がアルカノイドを企画。無限ダイヤルスイッチの開発プラス営業の調査で「今、ブロック崩しが求められている」という市場調査の結果からとのことでしたが…
タイトーの営業でリサーチしてた人以外、あそこまでのヒットは予測してなかったでしょう? インベーダー同様、その後各社から類似ゲームが出たところまでタイトーらしさいっぱいですよね。
ゴンス:ちょっと製作にかかわったけど、誰もがあんなに人気出るとは思ってなかったんじゃないかね?
寛斎:プレイヤーキャラの「バウス」ですが、歌舞伎町でメジャーだったKIGAWAに設置されたゼビウスのプレイヤーシップ「ソルバルウ」が「バウス」と誤記されていたことに起因するのは一部で有名な話です(笑)
今回「歌舞伎町 キガワ」で検索したら、ゲーム文化保存研究所さんの「ゲームセンター聖地巡礼」という記事で紹介されてました。やはり「オリジナルステッカー」の話が書かれていて、あのときの写真無いですかねぇと言ってらっしゃいましたよ。
ゴンス:KIGAWAはとにかくおもしろかったね、店の存在自体が(笑) そのステッカーはルート5が密かにはがして持ち帰ってたな。
寛斎:それは「日本のゲーム史の中の重要アイテム」として残っていて欲しいですね(笑) 「あなたの腕前わ?」「何点トレル?」がメジャーどころだったでしょうか(笑) この記事のライターの忍者増田さんて、ファミ通で一緒でした?
ゴンス:忍者増田はログイン読者からハガキ職人みたいな感じでアスキーに入ったライターですな。ログイン出身の編集者はゲームの歴史などに造詣が深く、そっち方面で活躍してるライターが多いね。
「ゴンスの生存を確認する飲み会」ってのがときどき川崎北部方面で開催されてて、そこにも来てくれる。忍者元気?
寛斎:さて、第6位から続き行ってみましょう。
No.6 ニューラリーX 1981年2月発売 (ラリーX 1980年10月発売) ラリーX、ニューラリーXの単品カタログは見たことないんですよ。
ゴンス:俺も無いけど心配すんな…(笑)
寛斎:これのBGMも好きでしたねぇ。ラジアメでやってたニューラリーXのCMでもBGMが流れてて。ラジアメは当初「ラジオでゲームの音が聞ける」という、恐らく制作側が全く考えていなかったであろうところからリスナーになりました。
聞いていくうちに、大橋照子さんと鶴間さんのトークや、おもしろカセットベスト10→ベスト5→ベスト3(になったかな)の内容と、ランクが減っていく「ショボさ」みたいなところにハマったり。ベスト10時代は投稿者とタイトルだけ紹介する作品や、1位は「該当者ナシ」とかあったような(爆)
ゴンス:「該当者ナシ」ね(笑) 確かそんなこと言ってたと思う(笑) あんただけ行ってないんだけど、俺たちゃ「ファンの集い」に招待してもらったし、ね。思い入れのある番組ではあったな、間違いなく。
寛斎:ウチだけ親がダメだと言って、集いに参加できなかったんですよ。だから今になって、「表舞台」に出て来たくなって、web Tampaを始めたのかもしれません(爆)
番組開始当時の録音は無いんですが、1982年夏頃から1985年ぐらいまでですかね、おもカセのところだけ録音して残してたと思います。
柴又のおいちゃんに貸してあげたら、大喜びでダビングしてましたね。今はネットで全部聞けるのかな、過去の放送が。
やはりオールアバウトナムコ発売前の状況として、ラリーXが難し過ぎ→ニューラリーXで難易度を下げキャラクターとBGMを変更なんてことが書いてある書物もなく、Tampa参加前後から拠点にしてたDLL(ダイエーレジャーランド)に、
アップライト純正筐体のラリーXがあったことなんか気づいてもいませんでした。いろんなゲームの音を録る中でゴンスが、「これ録ってないだろ?」とフィールドゴールと一緒にラリーXをやってくれて。先にニューラリーXに慣れ親しんでいた私にとって、
ラリーXは難しいわ、BGMは地味だわで、これじゃやる人少ないなぁという印象でしたね。
ゴンス:俺も50円とかになってたからやってあげたんだけどね。
寛斎:オープニング曲と面クリア曲、「Go for The World Record」曲は同じ曲のアレンジ違いみたいな感じにしてあるのが好感度高いです、VGMまにあとして。
プレイ中のBGMは「ブンブブブンブーン♪ブンブンブン」みたいな地味なヤツが、あのキャッチーなメロディーに!
ゴンス:変われば変わるもんだよね。あのBGMは発起人3人とも気に入っていたんだけど、フォルには入らなかったから、ルート5は録音できてなかったな。
寛斎:BGM以外、マイカーが葉巻型の初期のF1形状から、1981年当時のF1カーっぽくなってますね。難易度やルール等の若干変更があり、ゲームバランスが良くなりました。
あのBGMは口ずさんでるヤツがクラスに1人はいる「ニューラリーXあるある」ですよね(笑) これはディグダグ発売後にいろんなゲームを経験できたオリエンタル系の店にはなかったと思うんです。高岡では駄菓子屋でしか見たことが無かったですね。
ゴンス:ラリーXとニューラリーXはマップは基本的に同じだけど、ラリーXは袋小路があり、ニューは袋小路は貫通されてて、「行き止まり」は解消されてたと思う。
寛斎:ただ、その袋小路を貫通させたところに、たまに岩がきてたりして、「袋小路のまんまぢゃん?!」てことがありましたね。これも「ニューラリーXあるある」ですね(笑)
うっすらとした記憶ですが、その中には縦画面になったものがあったように思いネットで調べると、ラリーXのコピー基板で縦画面にコピーしたものがあったとの記述がありました。私の記憶では、ニューラリーXをあのBGMとともに縦画面で遊んだような記憶があるんですが、ナムコオリジナルは横画面のみですね。
これは記憶違いかもしれないので、みなさん、あまりあてにしないでください。
ゴンス:コピーなんかあったんだ?! 記憶にないなぁ。サン電子のルート16、じゃないよね?
寛斎:ルート16も駄菓子屋とオリエンタルでしかやったことなかったですが、ルート16とは違ってましたね。
■ 画像 ラリーX、ニューラリーX ドット絵 清書版
いつか背景も拾おうとして、ページにスペースを確保してある、
が、追記されることはなかった…
寛斎:ドットですが、確かひろしがクルマの絵だけ拾っていて、それを模写したのが最初。たぶんその後、オールアバウトナムコで岩の絵を描いたんだと思います。ラリーXとニューラリーXは、ドットが拾えるような鮮明な画面写真を持ってなくて、書いたのはそこまででしたね。
背景が春夏秋冬で異なり、その色も旧とニューでちがう。それも拾いたかったんですけど、とにかく強制的にスクロールされてるから、絵が静止しなくて拾いようがありませんでしたよ(笑)
今回、ラリーXの春背景24×24ドットとマイカーの曲がり中を拾ってみました。曲がり中は何度ポーズをかけても、この角度しか出てこない。アニメーションとして、縦向きと横向きの間は、この角度の斜め1枚しか入れてないのかもしれないですね。
解像度が高いから、簡単に拾えてしまう。背景で15分、マイカー10分ぐらいだったかな。これだけ鮮明なネタを見てるにしては、まぁ遅いですよね。
ゴンス:なんかこう見比べると、最初のヤツが「当時感」というか、味があっていい感じ。
このweb Tampaっぽいな。清書したヤツと、今拾ったEXCELシートのヤツは綺麗過ぎて、
「高校生がやってたTampa」感が薄れてるからか(笑)
寛斎:自分でもそんな感じしますね(笑)
さて、画面の配置はボスコニアンと似てましたよね。
ゴンス:画面右にレーダーが表示されてるんだけど、現代のカーナビのように、道までは表示されてない。だからこれはマップを覚えてないと、「このまま行くと袋小路だな」とかはわかんなかったんだよな。攻略グッズとしてマップのキーホルダーみたいなのがあったみたいだが、
それはナムコ直営店にしか設置されてなかったんじゃないかな。
寛斎:そのマップ、画像は見たことありますが、高岡では現物なんて見たことない。だからマップを覚えてなくて、12面からの「冬の面」にたどり着いたところで終わってましたね。ゴンスたちとゲーセンに行くようになった頃はすでに設置されてるゲーセンは無くて、
ゴンスがニューラリーXをやってるところを見たことが無いですね。
ゴンス:俺も「冬の面」で終わるクチだったよ(笑)
寛斎:そうでしたか(笑) 動画サイトでは超人的なスコアをたたき出す外国の方がいらっしゃるようです。見ていると、敵車のアルゴリズムを把握してらして、上手に「まいてる」んですよ。
ゴンス:「まく」と言えば、あんたが加わる以前の金沢行脚で、ひろしと2人でルート5を「まいて」、2人だけで高岡まで帰ってきたことがある(爆) 詳細はいずれ話すかもしんないな(笑)
寛斎:なんか当時から「伝説」みたいに「ルート5金沢まき事件」は話してましたね。まぁ、そのうちお聞きしましょう。
さて、カタログは見たことないんですが、ポップは新旧ラリーX 2種を保管してます。
ゴンス:トレーナープレゼント。当然高岡ではやってなかった。
寛斎:この時期にゲームキャラクターのオリジナル商品というか景品は珍しかったのでは?
ゴンス:まぁ、見たこと無かったね。
寛斎:現存すれば、まにあ間で高額トレードされてそうですね。
ゴンス:TampaもTシャッとトレーナー作ってたんだよな。高額トレードされてるという話は聞いたこと無いけど(笑)
寛斎:どちらも大事に保管してますよ(笑) おかんに捨てられてないか、ビタミンAM誌上での販売告知のページが出てくるまでに探しておきます。10年ぐらい前に衣類整理したときに、「絶対に捨てないでくれ」と別にしといたはずなんで。
ゴンス:そういうのは、そっちの方が逆に捨てられることがある(笑)
寛斎:心配になってきた。すぐ確認しよ。(爆)
ゴンス:このポップだけ、なぜか何枚かあるんだよな(笑) ニューラリーX グランプリ 4月18日、19日と書いてあるな。
寛斎:ネットで検索するとHitしましたね。
『ニューラリーX・グランプリ』は、第1次予選を1981年4月18日、19日に、首都圏中心の弊社直営店「プレイシティキャロット」など10ヶ所で開催。
また第2次予選・決勝大会は、同年の4月26日に東京の新宿駅前「新宿アルタ」で行い話題を呼んだ と。大会優勝者の打ち出したスコアは30万点オーバーと書かれてますね。
ゴンス:俺らだとだいたい12万点ぐらいでしょ。北陸では、ドヤ顔で12万点でハイスコアになってたりしたけど、この大会が東京であるのを見て、東京はいいなあ、って思ったね。
それにしても当時、発売から2,3か月で30万点はなかなかスゴいよね。
寛斎:上記の海外やりこみ動画では100万点いってたんだったかなぁ… 最近見てないんで記憶が… こういうメーカー主体のイベントも、当時としては珍しいし、今のe-スポーツの先駆けですかね?!
ゴンス:まぁ、そんなとこでしょ。ゲーセン単位ではいろんなイベントが催されたと思うけど、メーカー主催のはこの当時は他には聞いたことないな。
寛斎:ナムコ「先見の明」ですかね。No.6 ニューラリーXからNo.4 ボスコニアンは思い入れが深く、ついつい長くなりますね(笑)
ゴンス:まぁ、ルート5を筆頭に、俺たちもあんたも、当時のナムコに狂ってたんだよ(笑)
寛斎:確かに(爆) 1982年3月から秋ぐらいのスーパーパックマン発売まで、寝ても覚めてもディグダグでしたし、駄菓子屋やオリエンタルでは上記3機種に入れ込んでましたから(笑)
ゴンス:ということで、恒例の また来週(笑)
コメント
コメント一覧 (4)
ゴンスさんもしっかりクレジットされておりましたね。
アルカノイドはあの業界では“怪物”と多くの方が口を揃えるのを聞いて参りました。
タイトーの社史でもアルカノイドは『喫茶店を主体としたシングルロケーションでヒットし、久々に三万台を突破した』と讃えていましたね。
それに自機バウスの名がそんな由来であったとは、流石はマニア第一世代の旗手的存在のルート5さんです。
ラリーXとニューラリーXのポップは自分も所持していますが、後者は未組なんで完成形はこうなんだ!とまじまじと画面見ました。
ギャラクシアンの企画者:澤野和則さんがギャラクシアンから程なくして、ポールポジションの企画を出して「レーダーというアイデアを取り入れたい」と。
でも、その時点ではドライブシミュレーション(ポールポジションは3年後に出来る)に実装無理である、と。
そこで現時点でも制作出来るゲーム内容にアイデアを取り入れようとA案・B案作ったのが『ラリーX』と『ボスコニアン』と伺いました。
ギャラクシアンの企画が宇宙舞台の大人用『ギャラクシアン』、メルヘン世界が子供用『キング&バルーン』と分けたように、
“レーダー”という1アイデアで2種のゲームの企画の原案を立てた、ということでした。
eメールお送りしましたのでご確認よろしくお願いしまっす。m(_ _)m
丹波寛斎
がしました
「コースは直線でも構わない(立派にゲームとして通用する)」と書いてるんですよ。
これはもう鳥肌ですよね。
慣れてくればそれだけインカムの回転率が上がるという。
ナムコが新しいハードウェアを作る度にドライブゲームを作ったのは、
まさに澤野さんの存在があったればこそであったという・・・・・・!
ドットマン本3の編集ギリギリのタイミングで識者に確認してもらったところ、
16秒以上タイムを残していると爆発するようです。(・_・;
32秒以上の場合は、2回爆発する時もあれば、そうじゃない時もあるようで、
それはもうバグなのでは?という話になっておりました。
丹波寛斎
がしました