001-04-05

★コンテンツ

・No.4ボスコニアン の紹介、カタログ、ドット絵

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■ 画像 ボスコニアン カタログ


丹波寛斎(以下 寛斎):No.4 ボスコニアン。1981年11月発売。メインのイメージイラストはイラストレーターの長岡秀星さんによるもの。ポスターも保管してるのですが、30年前にしまったきり、触ってません。
特徴は合成音声と、ラリーX同様の画面構成になるレーダー機能。ぜくうさんの「ギャラクシアン創世記」によると、ギャラクシアン発売後の開発者の澤野さんはポールポジションの原形となるレースゲームにこのマップ機能を付加したものをすでに企画されていたとのこと。当時の私たちに、そんな情報までは聞こえてこなかったですよね。その構想が実現されたのが、通信対戦ポールポジションとも言えるファイナルラップですかね。その前に、任天堂がファミコンのF1レースでレーダーみたいなものをやってしまったんですけどね。
澤野さんの企画がぜくうさんによって明らかにされなければ、サーキット上のレーダー表示は任天堂のF1レースが先だと思われてしまうところでしたね。
ただ、当時はファミコン、ファイナルラップ双方を見て、どちらが先だったかとか考えもしませんでしたが。


怪獣:ひでごんす(以下ゴンス):ギャラクシアン直後にそんなところまで考えられていたとは、知らなかったな。

寛斎:私たちがニューボスコニアンと呼んでいた、弾ボタン押しっ放しで弾が連射になり、基地の配置が変わったバージョンもありましたが、ネットで調べても発売日がわからなかったですね。たぶんラリーX→ニューラリーXという流れから、ボスコニアンでもTampa内で勝手にニューボスコニアンと呼んでたし、ニチブツのフリスキートムも、マリリン・モンローが水着を着てるバージョンはニューフリスキートムと呼んでましたね、Tampa内では。


ゴンス:そうだね。ニューボスコニアンは金沢のビッグキャロットとかでしか見てないと思うな。ニューフリスキートムは、ひろしの高校の近くにあるというので、自転車で新湊まで見に行ったよ。

寛斎:ニューフリスキートムは、見れてないんですよね、当時は。スーパーファミコンの復刻では旧でもニューでもない輸出版で再現されてて、死ぬほどガッカリしました。あの木琴のようなサウンドが流れてこないんで。(;´д`)トホホ
ちょっと脱線しましたが、私はボスコニアンも市内ではオリエンタル系列ゲーセンでしか遊んだことがないです。
DLL(ダイエーレジャーランド)、ステーション(高岡駅ビルにあったゲーセン日高商会のTampa内愛称)、タイトーにも無かったし。

駄菓子屋にも無かったですね。1982年3月のディグダグ発売までの期間が短く、流通期間と量が少なかったと考えたらいいんですかね?


ゴンス:そうなんだろうね、多分。ボスコニアンは画面のレイアウトがラリーXと似てたねえ。


寛斎:タイトロニクスお得意の「統一感」をナムコでも、というわけでは無いんでしょうけど、ギャラクシアンとキング&バルーン みたいに、企画が同時進行だったという事実は、これまたぜくうさんのギャラクシアン本で初めて知りました。


ゴンス:タイトーに入ってわかったんだけど、タイトロニクスのあの「統一感」は同一基板によるハード的な「制約」に近いものだったよ。
ボスコニアンは基地の配置がポイントなんだろうけど、面が進むとボスが一直線に配置されてたりの妙を感じました。


寛斎:ハッキリ覚えてませんが、弾ボタン押しっ放しで連射になる、私たちの間で通称ニューボスコニアンと呼んでたヤツで、ニューラリーX同様に一定の面毎に、チャレンジングステージじゃないですが、基地を倒して一定時間コンディショングリーンになる
というのを繰り返しやすくて、敵からの攻撃がほとんどなくなり易い基地が一直線の面があったような記憶がありますね。
この同時期に出たNo.6~4の3つのゲームは3,7,11,15,18,21,24,27,31…とチャレンジングステージがあるのが共通点か?!
ちょっと確認してみましたが、ボスコ連射ナシは3面が、基地4つずつが縦一直線に並んだのが2列出てきますが、連射あり版は基地がゲーム開始位置周囲に密集した配置。
ボスコは、チャレンジングステージ感は薄いけど、少し気が抜けるのかな。


ゴンス:あぁ、それそれ。ただあれでしょ、いきなりでかいボスがあって、先もずっとそれをひたすら消していくだけで、面ごとの変わり映えがしないって、不毛な印象があった。ま、スクロール無しの固定画面はみんなそう感じてしまう、あのディグダグとかでもそうなんだけどさ。


寛斎:ある程度の繰り返しみたいになるのは当時のデータ容量とかから、仕方無いんじゃないかと。私はあまりそんな不毛な印象は受けなかったですね。人それぞれ、捉え方が異なる例みたいな感じですかね。
ただ、基地を破壊するとコンディショングリーンになるんですが、基地同士の配置が遠距離だと、その間にイエローになり、スパイシップも出てきて…汗


ゴンス:撃ち損じてコンディションレッドになる、と。(爆)


寛斎:だからヘタクソでしたね。ボスコニアンがうまい人は尊敬します。が、身近にはいなかったですね。


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■ 画像 ボスコニアン基地 ドット絵 下書き版


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■ 画像 ボスコニアン カタログ拡大



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■ 画像 ボスコニアン カタログ裏面

寛斎:発起人のお三方に会ってから、ゲームの音を録ったり、ドット絵描いたりしてましたが、3人からもらったカタログの画像からこの基地を拾ったことで、その後のドット人生が変わったというか、のめりこんでいきました。


ゴンス:初めて見せられたときは驚いたね。色も再現してたし。


寛斎:これで褒められて、調子に乗っちゃったんですよね、普段褒められることなんてなかったから。まず砲台の壊れたドット絵がカタログ裏に載ってて、それを写したんですが、カタログのオモテのロゴの中に基地のドット絵が出てた。
これをばあちゃんに借りた拡大鏡で拡大して、砲台と砲台のつなぎ部分と、基地のコアのカバー部分をよーく見て、6つ配置した砲台をつなげて完成したんですよね。


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■ 画像 ボスコニアン基地 白黒ドット絵 
 Tampa結成1周年記念号(1983年6月発行)に掲載
 大判のグラフ用紙に定規で描き、A4横サイズに切り出して原稿とした

ゴンス:これも白黒にして、ビタミンAM Tampa結成1周年記念号(1983年6月発行)に掲載したな。他に描いてるヤツを見たこと無かったし、ちょっとした「ウリ」になるかなとも思ったんだよね。


寛斎:数年間のTampaの活動とその後のゲームまにあの方々との交流だったんですが、私は自分以外にキャラクターノートを持ってドットを拾ってる方についぞお会いできなかったんですが、Tampa当時からタイトー入社後も、私の5倍ぐらいのまにあに会ったと思うゴンスなら、
同じようなことをしてる人に会いませんでしたか?


ゴンス:いやいや。キャラクターノートなんか作ってドット絵をファイルしてるヤツなんて、あんた以外に会ったことなかったよ。(笑)


寛斎:そーでしたか(笑) 同好の士がいれば、更にエスカレートしてたんでしょうけど(笑) 私のキャラノートを見て、弟子のはんちゃんが覚醒してったんだと思いますね。


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■ 画像 ボスコニアン 清書版 
  オールアバウトナムコ掲載データや、
  弟子のはんちゃん小僧が画面から拾った絵の模写を含む
  はんちゃんはボスコニアンの基板を入手し、プレイ中にディップスイッチで
  動作停止してドットを拾っていたと思われる


ゴンス:はんちゃん、連絡取れんなぁ… 見てたら連絡くれーっ(SNK「怒号層圏」ゲームオーバー後の「もう一度チャンスをくれ」風に)


寛斎:ボスコニアンはポスターもあって、割り当てとして私にも配布されたんです。そこにはコックピットのモニターに映っている基地のドット絵が、更に鮮明に大きく書かれてます。ポスターが配給された時期を思い出せないので、
それを見てドットを拾ったのか、上記のとおりカタログで拾って、ポスターで「答え合わせ」したのか、もう記憶が定かではないんです。
さて、それではドット以外の話をしましょう。合成音声「アラート、アラート」は子供たちには「あぶない、あぶない」と聞こえていたみたいですね。あとは「やばーい、やばーい」とか。(笑)


ゴンス:ゲーム中に「やばーい」とか叫ぶのは「ボスコニアンあるある」だわなぁ(笑)
どこのゲーセンでだったか忘れたけど、「スパイシップ サイテッド」とか言いながらやったね。あれを逃すと「コンディションレッド」で総攻撃だから。
フツーのプレイヤーだと、まず助からない(笑)


寛斎:異常に巧いプレイヤーだと切り抜けてたみたいですね、コンディションレッド(笑)
合成音声以外の音的には、オープニング曲、面クリア曲と「Go for The Space Record!」曲の3曲しかないんですよね。ラリーXの「Go for The World Record!」と同様になってて、
「同一テンプレ」で製作した感いっぱい。良く言うと「統一感」ですよ。タイトーのある時期のゲームはこの「統一感」がスゴかったような(爆)


ゴンス:俺たちが入社するぐらいまで、そんな感じだったかな(笑) 「統一感」ね(爆)


寛斎:ディグダグ登場までの期間が短くて、長岡秀星さんのイラストが使われていた(Mr.ドットマン 全仕事 前編 では、そのイラストボードの取り扱いについての記述等あります)等、いろんな話題があり、
当時のナムコはギャラガより上にランクさせたボスコニアンですが、ロングヒット機ギャラガと、爆発的ヒット機ディグダグの間に埋もれた感じですねぇ…


ゴンス:そうだねぇ… ポップも見たこと無いし、少し残念な気もするけど、そうなんだろうねぇ…


寛斎:今回は1ページの原稿から、派生記事が長くなりましたね。さて次回は次のページとベストヒット上位3機種の紹介。ゴンスにもらったパックマンフィーバーのLP、まだ保管してありますよ(笑)


ゴンス:あんた、とにかく物持ちがいいな(笑)

パックマンフィーバーの奏者、バックナーアンドガルシアの曲は動画サイトでも聞けました。タイムスリップした感があったね。(笑) 映画、ピクセルにも収録されました。
なお、あのアルバムはたぶん、ルート5所有で、渋谷のタワーレコード渋谷道玄坂店で探して購入しました。たしか輸入盤。あれだけを探しに行った。
いまはジーンズメイト?!それすら変わってるかも…東急ハンズの向かい。昔のゲームファンタジアそのばね。


寛斎:その前に会誌原稿1ページに1回やってるコラムですが、今回は「俺とオリエンタル興業」ですかね?!


ゴンス:そーしとこう。Tampaの活動に欠かせないゲーセン群を展開していたオペレーターだし。現存するのもスゴいよなぁ。


寛斎:ぜくうさんが取材したいと言ってましたよ。ココがなかったら、私はディグダグ以前のテーブルゲームの大半は未プレイで終わってましたね。今振り返ると、ユニバーサルとDECOのゲームが極端に少なかったような気もしますが、とにかくいろいろなゲームをブームが去った後に追体験できましたから。それが無かったら、ゲームまにあの根幹となる部分に大きな欠損があったと思いますね。


ゴンス:コラムの事前準備としていろいろ話し合ってたけど、あんまりネタが出なかったよね。


寛斎:1982年当時、37年後にこんな連載をするなんて考えもしなかったから、何も記録してないんですよね。ゲームセンターまっぷにもオリエンタル系店舗は出しませんでしたから。
記録しなかったことが悔やまれますね。


ゴンス:まぁ、できるだけいろいろ思い出してコラム化していこう。ということで、また来週。