001-05-02


★コンテンツ

・No.3 ギャラクシアン の紹介、カタログ、ドット絵(再録)

・Tampa年越し行事 「年末決戦」

・実質的にナムコのデビュー作(ルート5談)ギャラクシアンの登場

・エイリアンの裏側?!(笑) ニチブツ ムーンエイリアン

・フォルのムーンエイリアン フリープレイ筐体

・なぜか1枚も無いムーンエイリアンのカタログと「売るほどある」ムーンベースのカタログ

・発起人が異常に盛り上がっていた OM ガイコツ999とそのカタログ

・バンダイから発売されたFLビームギャラクシアン 箱と現物

・ゴンス兄弟とLSIゲーム マテル オートレース

・ビームギャラクシアンの姉妹品?! FLザ・ブロック

・1撃必殺のインベーダー、ギャラクシアンと連射でせん滅する爽快感 ギャラガ

・ギャラクシアン発売当時に諸事情から「やりこめなかった」寛斎と、

 リアルタイムで没頭した発起人との ハマり具合の違い


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■ 画像 ギャラクシアン カタログ 再録



丹波寛斎(以下 寛斎):でんでんででんででん♪ ホテル~♪ でんでんででんででん♪ 坪野~♪


怪獣:ひでごんす(以下ゴンス):でんでんででんででん♪ ネッシ~♪ でんでんででんででん♪ ランド~♪

でんでんででんででん♪ みんな~♪ でんでんででんででん♪ 来いよ~♪ (またこれか…)


寛斎:ということで、坪野鉱泉に行って行方不明と思われていた女性2名が、クルマに乗ったまま富山新港突堤そばの海底から発見されました。

と、前回書いたんですが、長かったですね、今回の記事までが(爆) 半年以上放置に…


ゴンス:あんたが会社紹介 ナムコ編 2ページ目に行くまでの月日も十分長いよ(爆) 
Vitamin AM創刊号の紹介だけで既に1年以上過ぎてる(笑)


寛斎:いや、夏場から多忙を極めてた、みたいな(笑) ことで、ご勘弁を(爆)


ゴンス:デジャヴかよ(笑)


寛斎:前回「あとは富山県警に預けましょ」で締めたこの件ですが、最近雑誌でこの事件をずっと追い続けていたライターさんの記事を見たんです。

結局県警は、遺体発見で終了にして迷宮入り事件となったみたいです。ライターの方も諦めちゃってましたね。


ゴンス:まぁこれ以上深入りすると、何か良くないことが起こりそうだし、ウチらもこの辺で終了にしときましょう。


寛斎:ハイハイハイ(お笑い芸人「KICK」の合いの手調で)そうこうするうちに、2021年ですよ(笑)

今年もよろしくお願いします。


ゴンス:コロナ云々関係なく、年末年始の伝統的な親戚とのつながりとかも少なくなったね。お歳暮も年賀状もやりとりするのは少なくなった。あ、2020年からお年玉くじつき年賀状の賞品が現金30万円になってるのでチェックは忘れずに。

勤務先で回覧終了した年賀状は自宅へ持ち帰ろう! 


寛斎:ウチに来たのは全部スカでした(泣)


ゴンス:で、年末年始といえばゲーム決戦というのをやってたな。


テーブル筐体にふたりで座って、23時50分ゲーム開始。年が変わる瞬間にプレイしてたほうが勝ちというルール。


あーたんとこは大晦日の夜中にまで外へ出るなと言われてたし、ひろしはそんなくだらんことに付き合えんと、ルート5と俺だけでやってた。


寛斎:Tampa運営時の1984年迄は私は立ち会えてませんね。大学生になった1986年とかもやってたと思うんですよね。

クルマで金沢西インターレストハウスに行ってやってるのを見たような記憶もあり、そのときの自分の服装の記憶から、社会人になった1990年頃が最後でしたかねぇ…

確かルート5は「年末決戦」と呼んでいたような…

当時は40年後にこんなブログを立ち上げるなんて、夢にも思ってないから、何年はどのゲームでどちらが勝ったか、なんて記録は一切取ってなかったですね。


ゴンス:俺の記憶では、初回はルート5宅で自宅設置のアストロファイターをプレイ。そんときに偶然俺がプレイしてたので俺の勝ち。


2回目は覚えてないんだよなあ。エビデンスがない(笑) たしかルート5の勝ち。


3回目はギャラガ。結果的にこれがTampaでの活動時期としては最後となるのだが、要因としてはテーブル筐体が少なくなって、向かい合ってプレイする筐体を探すのが面倒ってな理由だったかな。

こんときは俺が勝ってトータル2勝1敗でした。


ギャラガのときはよく覚えてて、ルート5優勢で迎えた年越しの瞬間にトラクタービームで回収された自機を打ち損じるという初歩的なミスで俺に勝利が転がってきたのだった。この時に勝負は下駄をはくまでわからない、を痛感したよ。


これがe-sportsの世界大会だったらと思うと今も手が震える。


寛斎:40年弱前に既にe-sportsでしたか(笑) 全国どこででも同じような事やってたんじゃないかと思いますが、そんな文献も見たこと無いですよねぇ…

まぁとにかく、何も記録していないので、コラムににすることも出来ませんなぁ(爆)


と、前置きが異常に長くなりましたが、実質的にナムコのデビュー作(ルート5談)ギャラクシアンの登場です。

ギャラクシアンドット絵

■ 画像 ギャラクシアン ドット絵


ゴンス:俺がホンモノだと思ってた「ムーンエイリアン」の本当のオリジナル(爆) ギャラクシアンですよ。


寛斎:私が見た「ムーンエイリアン」は、画面上方で編隊で待機しているフルカラー状態から、攻撃に転じた瞬間に裏返ったみたいに単色になるというシロモノ(笑)

このバージョンをネットの動画サイトとかで探してるんですが、見当たらないんです。


ゴンス:エイリアンの裏側?!(笑) あんた、その「裏返るエイリアン」の話が何回か出てるんだけど…(笑)


寛斎:いや、なんか「複雑な動きをすると単色になる」という「ギミック」がコピー基板ならではの「チャチ臭さ」みたいで、「やっぱコピー基板はダメだな」と強烈な印象として残ってるんです。(笑)


ゴンス:コピー基板はいろんな種類があったしね。その画面上での違い、構成基板の違いまではバイナリアナリシス的視点では見ることが出来てなかったね。


寛斎:基板は毎日見てたでしょ?(笑) 筐体のフタにカギがなくて、開けると電源が切れるフォル(ゲームズカリフォルニア)のギャラクシアンで(笑)


ゴンス:いや、基板というより、そこについているDIPスイッチと、その設定表しか見てなかったから、基板の構成は一切憶えていません(爆)


寛斎:この筐体を見て、フタ開けて、DIPスイッチでフリープレイにして、フタ戻してフリープレイする という発想が、凡人の私には出てきませんでした(爆)


ゴンス:いや、もう、とにかくゲームをしていたかった。これに尽きる、執念の行動というか(笑)


寛斎:フォルのくまさんとかが、ゴンスのために設定してくれたんじゃないですかね、フリープレイ可能台。自分がやり終わったら、またちゃんと戻すから(笑)


ゴンス:こー見えて、律儀なんです(笑) そうは見えなかったかもしれないが、できるだけ他のお客さんがいるときには、天板を開け閉めしたりしないようにしてたんだよ。


寛斎:それは今初めて知った、ゴンスなりの配慮! 律儀ですねぇ。(笑) 


ゴンス:こー見えて、律儀なんです(爆)


寛斎:まぁ他の中学生とかにバレると、DIPスイッチ壊しそうだし(爆)


ゴンス: 「エイリアンが裏返った」、と何回か出てきたときには「そうだったかなあ」とスルーしてたんだけど、もしその現象をカリフォルニアだけで見たとしたら故障だった可能性を思い出した。


寛斎:そーいえば、目撃したのはフォルのムーンエイリアンだけ… だったかなぁ… DLL(ダイエーレジャーランド)でも見たような気もしますが、ハッキリしません。


ゴンス:当時の基板にはRGBの出力用チップってのがあって、その接触不良だったか、足が折れてたかでカラーがちゃんと出てなかった。だから「いいがに写っとらんだわ」(「ちゃんと写っていなかったよ」の富山弁)と言われた気がする。


寛斎:「裏返るエイリアン」の38年来の謎がようやく解けました!(爆) ちょっとだけバイナリアナリシスチックでしたね。(笑) でも、画面上部で隊列を組んで並んでるときは、ちゃんとフルカラーでしたよ。


ゴンス:まぁそこは、くまさんがそー言ってたからというだけで、自分なりの分析とか確証までは無いんだよなぁ…


寛斎:そっスかぁ… さて、フォルでのゴンス フリープレイいじりが終わったので、カタログの話題に。

ムーンベースのカタログは売るほどストックしてますが、ムーンエイリアンのカタログは1枚も無いんですよね。見た事ありますか?


ゴンス:いや、実は俺も見た記憶が無い。俺の想像でしかないけど、結局後でナムコから許諾を得たりで、最初に刷ったカタログは大量に廃棄したんじゃないかね、ムーンベースのカタログをTampaにプレゼントしてくれたみたいに(笑)


寛斎:ムーンベースだけでA4書類袋1袋分ありますよね(笑)


ゴンス:何に使うって、使い途が無いからね(笑) 

「ムーンベースのカタログ売るほどある」の真相は、フォルのスタッフが「しばたくん、今度カタログとか雑誌とか整理するけど欲しいがけ?(欲しいですか? の富山弁)」と言われたときに

「くれくれくれ~っ。とりあえず全部ちょうだい」といってもらったシロモノだったかと。

膨大な量をチャリで運んだよ。で、ルート5宅でお宝山分け作戦。ムーンベースのカタログはたくさんありすぎたから、「こんなもんいらんわ」と価値無さ気な扱いだったな。


寛斎:とりあえず、孫子の代まで保管させときます(笑) 


ゴンス:たしか、ガイコツ999のカタログも結構な枚数あったが、これらは山分けして、その後は…


寛斎:OMのガイコツですね。発起人3人共、「ガイコツ」好きでしたもんねぇ(笑) 山分けした物が2種類、各1枚だけ保管されてます。


ガイコツ999-001
ガイコツ999-002

■ 画像 OM ガイコツ999 カタログ2種


ゴンス:あーたが言っている発起人 間での盛り上がりなんだけど、当時ガイコツの何にそこまで盛り上がってたのか、カタログを見ても全く思い出せない(爆)

高岡にはガイコツは入らなかったんだよね。なので実は実物は見たこと無いんだよ。


寛斎:私もこのカタログと広告しか見た事無いんです。このカタログ、オークションで4万円で落札されてましたよ!


ゴンス:なんと!! 当時の枚数、全部保管してたら、転売してボロ儲けだったか(泣)


寛斎:いやいや、沢山あったら価値が下落して、他のカタログ(フライヤー)同様、5000円程度に落ち着くのでは?!(笑)

それで去年だったかに、ぜくうさんとガイコツの話をしてたんですが、なんと、基板が発掘されたらしいんです。が、動作確認ではかんばしくなかったとか…


ゴンス:やっぱりガイコツの現物には縁が無かったんだなぁ、俺達。


寛斎:さて、ゴンス達は全く興味無かったでしょうけど、当時バンダイからFLビームギャラクシアンという卓上電子ゲームが出てたんです。蛍光管表示で4色表示なんですが、最近これのレビュー記事で、赤と水色の2色発光の上に、ブルーと黄緑のシートを乗せて疑似4色だったとわかりました。

背景にも星が流れている本家ギャラクシアンみたいな演出もあったんです。筐体は青、砲台の左右移動とビームボタンはオレンジ。で、これがその現品(笑)

10年ぐらい前に物置から発掘し、今日のために玄関の横にずっと置いてありました(爆)


FLビームギャラクシアン箱

■ 画像 バンダイFLビームギャラクシアン 箱



ゴンス:あんたまた、こんなもんまで保管してたの(笑) しかも箱付きで(笑) 発起人一同はこういうのやるより、マイコンにプログラム打ち込んでのタダゲー派だったから、この辺りのゲームはほぼ知らない。

ただ、エスキモー(現森永製菓?)のLSIレースゲームが当たったことがある。腰が抜けるほどやった。タイトーのスピードレースが好きなのはそういうことか?(笑)


寛斎:トップビューみたいなんで、トミー ブラックレーサーのプレゼント用ですかね? ブラックレーサーだと、LSIというより、アナログチックなゲームだけど…

そーか、バンダイのチャンピオンレーサーってヤツですかね。


トミーブラックレーサー

■ 画像 トミー ブラックレーサー(ネットからのいただきもの)


バンダイ チャンピオンレーサー

■ 画像 バンダイ チャンピオンレーサー(ネットからのいただきもの)


ゴンス:画像を見ると、どちらでも無いな… あんた同様にググってみると…

あったあった。マテル社のオートレースってやつらしいよ。世界最初のLSIゲームってことみたいだ。ってことは景品としてもなかなかのお値段したんじゃないかな。表示画面は想像してもらうとわかるけど、赤いLEDのドットでクルマを表現してた。

まあ、黎明期のトップビューレースゲーム草分けというか、LSIゲーム化したものというか。弟と夢中になってやったよ。あんたみたいに保管してたら、歴史的にもかなり貴重だったろうね。


MAutoRace

■ 画像 マテル オートレース (ネットからのいただきもの)


MATEL AutoRace2

■ 画像 マテル オートレース プレイ画面(ネットからのいただきもの)


寛斎:マテル オートレースは1976~77年に発売された、世界初のLSIゲームとのネット情報です。現存する動く個体は極めて少ないだろう?!とも書かれてますね。

その現存機の動画がyoutubeに上がってたので、こちらからも画像をいただきました。

赤いLEDの点を車に見立てて、その他車をよけるゲームですね。

ブラックレーサーは静岡にいた小学生時代に親友の「ヤマ」ん家でやりまくりましたね。「ヤマ」今年ガンで亡くなっちゃったんです。静岡の一生友達だと思ってた3親友のうち、2人が他界してしまってさみしいばかりです(泣)

オートレースの発売は、その静岡時代になりますね。これは知らなかったなぁ…

チャンピオンレーサーは、おもちゃのバンビででもやってたかなぁ… 友達の弟が持ってたとか、そんな感じでしたね。マテル オートレースのLEDの点を、車型に抜いたスクリーンと大型LEDで表現して、リアルさを向上させてますね。


ゴンス:あーた、クルマ好きだからねぇ(笑)


FLビームギャラクシアン

■ 画像 バンダイFLビームギャラクシアン


寛斎:でもマテル オートレースは、その存在すら今回初めて知りましたよ!

で、このバンダイギャラクシアン、4色表示に当時中学生の私はすっかりやられてしまったんですが、当時はゲーム&ウオッチが出たところで、私はクリスマスにこれを、妹はゲーム&ウオッチ バーミン(バ~ミヤンではない(笑))を買ってもらってました。

「FLザ・ブロック」というブロック崩しが同じ筐体の赤色で1981年に発売。オレンジのダイヤルがついていて、ブロック崩しとしての再現度は高かったです。こちらもネットでプレイ動画が見られますね。

ギャラガやプロゴルフの師匠だったごんそう君は、これにイヤホンをつけていたように記憶しています。

そうそう、塾で一緒だった高陵中の連中は、ゲーム&ウオッチにもイヤホンをつける改造をして、授業中にやってるんだって言ってましたね。


ゴンス:高陵中は市内中心部だから当時から進んでたんだね(笑)


寛斎:高陵中の連中に「インベーダーやったモン、立ちろ」(インベーダーゲームをプレイした者は立ちなさい の富山弁)って言われてるか、聞くのを忘れてました(笑)


ゴンス:いやぁ、どの中学も同様に取り締まってたんじゃないかなぁ、ゲーセンへの出入りについて。

シバカン先生(当時のゴンスの担任? 学年主任の先生だったかな?)もあちこちの中学教師たちと親睦会してたでしょうね。

「今日は日高(※注)で3人補導してやった」、「高陵中学は昨日はゼロでした。もうちょっとがんばらないと」とかやってたんじゃないの? 

警察の交通取り締まりみたいだな。いずれも俺の空想ですが。

※注:日高商会。Tampa内の愛称は駅ビル内にあったことから、「ステーション」を略して「ション」


寛斎:ですかねぇ。で、FLビームギャラクシアンですが、確か1990点でカウンターストップ+3分間でゲームオーバーになる仕様でした。なので慣れてしまうと、あまり面白くなくて…

ボスキャラがいないので、ボスを撃つと数秒間敵の攻撃が鎮まるというギミックも無かったですし。なので前述のFLザ・ブロックの方がゲームとして楽しめたと思います。


ゴンス:まぁそれも、その大分前に出た任天堂ブロックくずしにはかなわない。当時はTVの家庭内保有台数はだいたい1台で、自分の部屋でTVを占有してゲームをすることが出来る子供は稀だったと思う。

多分そんな子供たちが自分の部屋で遊べるから、FLザ・ブロックを発売した意味があったんじゃないかと思うな。


寛斎:今で言う、モバイルみたいなもんですかね。


ゴンス:モバイルにしちゃあ結構デカいけどね(笑)


寛斎:今ではスマホでギャラクシアンとかできるんでしょ? 画面が小さいから微妙な動きが出来るのかはわかりませんが…


ゴンス:調べてないからわかんないんだけど…

いまや自宅でまったくゲームしなくなったからねぇ。ホントは任天堂スイッチのゼルダとかも興味はあるんだけど、なんにせよ1ゲームやるのにえらい時間かかるみたいだから、ちょっと離れちゃったね。スマホのゲームも課金目当てな先入観があるね。


寛斎:ググってみると、2005年に既に月額315円でプレイできるようになってたみたいです!

『「アプリキャロットナムコ」では、このほかにも「ドルアーガの塔」や「ニューラリーX」、「バトルシティー」、「メトロクロス」などなど懐かしいゲームが揃っており、サービス利用料月額315円でこれらを楽しむことができる。』

と記載されてるんですが、このニュースが既に15年前ですから…


ゴンス:俺達、時代に取り残されてるなぁ(笑)

あとねぇ、いまメトロクロス死ぬほどプレイできますってなっても、当時は一晩中でも遊んでたい気がしたけど、いまはどんなもんか。でも、スマホでプレイできることでぜくうさんも言ってるけど、資料として残されていくってのはいいと思うね。

最近スマホにしてメールもまともに打てないし、メールの濁点と半濁点の区別がつかない老眼だからねぇ(爆)


寛斎:14、18インチブラウン管から、5インチ液晶とかになるんで、五十路の私達には小さくて見えないですよね、老眼で(爆)


ゴンス:確かになぁ… まぁ、他のゲームはまた他のゲーム紹介時に調べますか。


寛斎:そうですね。で、そのグラフィックとサウンドで私をゲームの世界に引き込んだギャラクシアンですが、ゲーセンでは中学生は補導されるから結局あまりプレイできなかったのと、1撃必殺のところがあまり心に響かず、プレイ回数は少ないです。


ゴンス:俺たちはインベでいつも1撃必殺だったから、そのバージョンアップ版として素直に喜んで受け入れたけどな。


寛斎:まぁ私が本格的にゲームし始めたのが、補導されなくなった高校入学の1982年4月以降で、当時はディグダグにハマっていて、寝ても覚めてもパターン開発みたいな感じでした。

なのでハマったギャラガについても、発売時はやってなくて、ディグダグ、スーパーパックマン、ツタンカームとハマって、次に面白いの出ないなみたいなところから手を出していったという経緯もあり、

インベーダーもギャラクシアンも「過去の大ヒット機」というスタンスで向き合ってしまってましたね。


ゴンス:完全な新製品として接していた俺たちと、過去の名作として接したあーたの違いがそこにはあるってとこか。


寛斎:Tampaに参加しながらも、業界紙熟読とかゲームアイディア応募とか「プロ」っぽいところまで行っていた発起人と、ひたすらプレイ、録音、ドット絵拾いに注力してた私との違いみたいなものも感じますね、今振り返ってみるとですが。

当時は何も考えず、とにかく一緒に行動してゲームを楽しんでましたが。


ゴンス:ギャラクシアンの最大の魅力というか、驚いたのは敵の動きがサインカーブ? コサインカーブ? タンジェントカーブ? 独特の曲線を描いて攻めてきたことだよなぁ。

それまでは直線的な動きのものばかりだったと思う。後のギャラガやギャプラスにも、その動きは継承されてたね。

ボス編隊を攻撃する順番でボーナスポイントが違ったり、敵が残り数匹になると編隊に戻らず、ずっと攻撃を仕掛けてくる。それを総攻撃ってインストラクションカードに書いてあったのはギャラガだったかな…

その様は敵と自分との真剣勝負みたいでドキドキした。

あ、その総攻撃時に敵キャラが回転してくるのもたまげたね。弾も斜めに降ってくるし、なんか関数と戦ってるって印象だったな。


得点メカニズム.

■ 画像 ギャラクシアン カタログ 得点メカニズム


寛斎:その動きの違いは、発売当時は大きな驚きと魅力だったんでしょうね。開発者の澤野さんはインベーダーを徹底解析されたとのことですから、動きの違いや攻め方の違いもポイントとしていたと思いますね。

出たばかりのギャラクシアンは数回プレイしただけでしたが、Tampa参加後にたまにやるときは、最後の1匹はいつも紫が残ってましたが、そいつが砲台の前でクルリと回転するもんだから…


ゴンス:いつもそいつにやられてたってか(笑)

あと、フォルにムーンエイリアンが入荷したときに 「北陸地区 初上陸!」って新宿のKIGAWAみたいな手書きのPOPみたいなのが貼ってあったよ。コピー機の癖に(笑)

あ、「北陸地区 初上陸」ったって、金沢にキャロットがあればそこにギャラクシアンは入っていたはず。「北陸地区 初上陸」じゃないじゃない。うー、騙された(笑)


寛斎:まぁ当時の高岡のプレイヤーにしてみたら、金沢のゲーセンの入庫状況なんて知る由もないから、何とでも書けましたよね、悪く言っちゃうと。

私がTampaに参加して、本格的にゲーセン入りしたときは既にギャラガがあり、連射でせん滅する爽快感に慣れたこともあり、ギャラガは極めたいと思いましたが… 

ギャラクシアンは大流行時はあまりプレイ出来ず、いざ出来る環境になるとギャラガをやってましたから。


ゴンス:俺はフォルのフリープレイでギャラクシアン(正確にはムーンエイリアン)を極めたと思ってる。10面の巨大な旗を見た時はうれしかったね。


寛斎:今youtubeを見ると、終わらない程極めてる人のプレイも見る事が出来ますね。


ゴンス:えっ! 俺達もそこまでは極め尽くせなかったな。


寛斎:今回ぜくうさんから、参考資料にと澤野さんを取材して刊行されたギャラクシアン本を提供していただいてたんですが、全然記事に反映できなかったです。

ぜくうさん、ありがとうございました&すいません。もっとギャラクシアンを深堀りされたい方は、ぜくうさんの「ギャラクシアン創世記-澤野和則 伝-」をご覧になってください。


ソフト的にみると、スプライトが… とか、エポックメイキングな作品に間違い無いですよね。


ゴンス:それは完全肯定したいところ。ということで長くなったし、また来週(笑)


寛斎:次回は№2 パックマン。これも私の思い入れ、いっぱいの作品です。