001-05-03
★コンテンツ
・No.2 パックマン の紹介、カタログ、ドット絵、ポップ、雑誌広告
・「会社紹介 ~第1回~namco」編 2ページ目
・1980年、全世界で最も成功したビデオゲーム、パックマンの登場
・それ以前、1974年にトミーから発売された貯金箱 パックマン
・ドットイートゲームの歴史
・有名エピソード 1切れ欠けたピザモチーフと当時の高岡ピザ事情
・1974年島田君が描いたマンガ「パックマンの旅」ビデオゲーム化以前からのパックマンファンだった寛斎
・駄菓子屋でひたすらプレイの日々。家庭用FLゲームもやりまくり
・ゴンスは「パーツ」でマイコン再現版もプレイ
・4つのキャラクター誕生経緯
・多彩な続編の開発、発売
・ポパイがチカチカしながら迷路を動く 亜流パックマンの世界
・国内でのパックマンブームの終わりとディグダグの登場
■ 画像 パックマン カタログ 折り目がついていて残念な表面
丹波寛斎(以下 寛斎):でんでんででんででん♪ ホテル~♪ でんでんででんででん♪ 坪野~♪
怪獣:ひでごんす(以下ゴンス):でんでんででんででん♪ ネッシ~♪ でんでんででんででん♪ ランド~♪
でんでんででんででん♪ みんな~♪ でんでんででんででん♪ 来いよ~♪
寛斎:昔の事は色々と鮮明に覚えてますが、坪野鉱泉のCMはほぼ記憶に無いんですよね。ドリフの威勢のいい風呂屋は覚えてますが。
ゴンス:いかりやの「ダメだこりゃ」の後に「ズチャチャ ズチャチャ ズチャチャ~♪」の「オチの音」が来るのがいいんだよな。
寛斎:それはメイプル超合金もそう思ってるのか、「ブパパ ブパパ ブパパー」と自分たちのコントのオチに流用してますね(笑)
若手お笑いによる「再利用」で、「ドリフの『オチ』の音」も永久に不滅ですね(爆)
さて、なんと去年はパックマン生誕40周年だったんですよね、忘れてましたが。このページも1年前にUPすべきでしたね。
ゴンス:まぁ注目度は違ってたかもね(笑) 前回の豪雪コラムから半年経ってるし(笑)
寛斎:とにかく業務繁忙で… すんません、すんまそん。
ということで、41年目の今年になって、超合金パックマンとか、Sさんが開発のパックマニアに出てくる3Dパックマンとか、記念トイが3点発売されるそうです。
ゴンス:生誕40周年の余韻がまだあるってか。
寛斎:生誕50周年のときは、このwebTampaもコラボしたいですね(爆)
ゴンス:この年になると10年もあっという間だろうし、VitaminAMも10号まであるから、連載コンプリートまで10年以上かかるだろうしね(笑)
寛斎:さて、開発者の岩谷さんの想像とのことなんですが、パックマンのギネス記録は、ギネスが世界一として登録したかったんだろう と。
ホントに世界一売れたのはインベーダーだと書いてます。
そしてそのパックマンなんですが、私は貯金箱~パック&パルまで狂ってましたね。
ゴンス:まずパックマンは最初はカタログ画像のとおり、PUCK MANだった。
PUCKは いたずら好きな小妖精、いたずら小僧、おちゃめな人等の意味を持つ英単語。
アメリカにもバカがいてPをちょっと削ってFにする輩がいたのでPAC MANに変わったとのことでした。
文献とかまったく不明だけど、パクパク食べるからパックマンってのもどっかで聞いたような覚えがあるけど、夢かもしれない。
寛斎:パクパクは貯金箱のパックマンのネーミング由来かもしんないですね。
今回ネットで調べて分かったんですが、パックマンに関する複数の研究論文がHitしました。そこには、企画書を始めとする普通では見ることができない資料がいっぱい。
パックマンはAIの始祖的ゲームとして、いろいろ研究されているようです。
手持ちの重要資料である、ぜくうさんのMr.ドットマン本には極初期の海外向けPUCK MANカタログ画像が掲載されていて、そこには「SNAPPER」と書かれています。
PAC MANの方がわかり易いから、全世界統一でPAC MANになったんですかねぇ…
■ 画像 パックマン 海外向け総合カタログ初期
(ぜくうさんのMr.ドットマン 全仕事 前編より)
■ 画像 パックマン 海外向け総合カタログ初期 カラー版
(の雰囲気。ネットからのいただきもの)
ゴンス:その輸出名称は知らなかったな! 上記の「F」対策しか知らなかった。
寛斎:私もドットマン本でカタログ画像を見るまで知らなかったですよ。アミューズメント通信のゲームリストの海外版 Midwayのところも見てみましたが、PAC MANしか掲載されてませんでした。
ググってみると、海外の方がPC用にプログラミングしたPAC MANのようなソフトに旧海外名称が「名残」のように使われているだけで、他には特にHitしませんでした。
「SNAPPER」の英単語としての意味は、「フエダイという魚」とか「ガミガミ言う人」と書かれてますね。ピンとこないですねぇ…
ゴンス:ググれば大概答えが出るんだけど、これについては「不発」だったね。
寛斎:名前がSNAPPERのままだったら、全米ではここまで流行らなかったかもしれませんねぇ…
ゴンス:で、既に手足付の全米大人気キャラがカタログやアップライト筐体に登場してるね。
寛斎:4年後の1984年にPAC-LANDとして、この「デカキャラ」が自在に動かせるようになるなんて、このときは思いもしませんでしたね。この頃はどのゲームも基本的に背景は「黒ヌキ」ですし。
■ 画像 パックランド ドット絵
ゴンス:ハードウェアの進化かプログラミング技術の向上か?!
寛斎:記憶媒体であるROM,RAM類の容量upにより、いろいろできるようになったんですかねぇ…
ゴンス:まぁバイナリアナリシス的なところは渋谷洋一に任せて…(爆)
■ 画像 パックマン カタログ 裏面
寛斎:このカタログ裏説明図「1」の「追いかけられて困った口になってるパックマン」の絵が好きでしたね。インストラクションカードにも書いてあったような。
こちらのイラストはMr.ドットマン小野さんの作とのことです。
■ 画像 パックマン カタログ 裏面 困ってるパックマン
ゴンス:このカタログもかれこれ40年以上前のモノなんだから、あんたホントに物持ちがいいねぇ。
さて、ドットイートゲームはこれ以前にもヘッドオンとかスペースチェイサーとか、あったが時間軸があいまいだな。
ヘッドオンはスペースアタックとのスイッチ切り替えで遊べたセガのツイン筐体?に入ってたので、俺らが見たのはパックマンより前だったのは確実かと。
寛斎:アミューズメント通信のゲームリストによると、ヘッドオン、スペースチェイサー、ローリングクラッシュ、ヘッドオンⅡ、サファリラリーの順に出てたようですね。
クルマモチーフから、コミカルものへの変貌。ギャラクシアンというシューティングをクルマモノにしたDECOカセ初期作ハイウェイチェイスの逆発想というか、ですね。
ゴンス:俺たち発起人が大好きだったローリングクラッシュは、またニチブツ特集のときにクローズアップかな(笑)
寛斎:「TVゲーム これがナンバー1!?」のコーナーでも、「アザールート」が開通したら、敵車についていけば永久に終わらない、長持ちナンバーワンとして掲載されてたはずで、その記事の方が先かもしんないですね。
そのときにまた紹介しますね。あと、ヘッドオンはⅢまであったようです、ネット情報によると。見たこと無いですね。
ゴンス:ヘッドオンⅢはカーハント説(WIKIより)。やったことあります。確か反転バックできるんだよね。レバーで。もはやクルマの動きじゃない。
寛斎:スペースチェイサーも反転不可だったはずなので、その動きはもはやパックマン的!?
ゴンス:ヘッドオンⅢをリリースしたころには、他に面白いゲームが出てしまっていて、話題にならなかったのかな。
■ 画像 パックマン ドット絵
スーパーパックマンのカギは、パックマンとは逆向き
■ 画像 パックマン ドット絵のおまけ
スーパーパックマン、パック&パル、ゲームタイトル、下書き
寛斎:さて、PUCK MANのドットです。清書したヤツしか残ってないので、「ALL about NAMCO」に掲載されていたはずのドットキャラデータを模写したのかもしれません。
PUCKMANとそれ以降のSUPER PACMAN等では、メインキャラPACMANの口の裂け方というか開き方が違うんですよ(笑)
■ 画像 ドット絵 PuckManとSuperPacMan以降のPacMan
口の開き方が、Puckmanは2,3,3ドット、PacManは2,2,2ドットで開いている
ゴンス:それも今聞くまで知らなかったな。それはドットを拾ってるヤツしかわかんないだろ(笑)
寛斎:PUCKMANは最大に口を開けた状態のドットが、中心から外に向かって3ドット、3ドット、2ドットですが、SUPER PACMAN等では、2ドット×3なんですよ。
小野さんはこのドットにはかかわってなかったとのことで、何故そうなったのか、まではMr.ドットマン本にも書かれていない謎なんですよねぇ…
ゴンス:今、PuckManとPacManの口の開き方が違うとか言ってるヤツ、全世界であんただけだよ(笑)
あんただけが気になってる裂け目の部分。開発裏話には必ず「ピザの1切れ欠けたヤツを見て…」というエピソードが出てくるんだけど、その当時、ピザなんか知らなかったよ。
寛斎:ググってみると、日本初のピザ屋は1954年に六本木でオープンした「ピザハウス ニコラス」。大学時代に食べ放題で利用していたシェーキーズが1973年に赤坂で、宅配ピサのドミノピザは1985年に恵比寿でオープンしたと書かれてますね。ザッと見ただけなので、諸説あるかもしれませんが…
ゴンス:高岡初は?(笑)
寛斎:「日本初 ピザ屋」でググると、前述のニコラスさんが出るんですが、「高岡初 ピザ屋」でググっても、2021年現在で営業中の「ピザウィリー」「ピザキャリー」「ドミノピザ」「テキサスハンズ」が出てくるだけで、高岡のピザ屋の歴史に関する情報はHitしませんね。
数年前の一時期、「ピザーラ」が旧8号線のオリエンタル興業の斜め前あたりに出来たんですが、いつの間にか撤退しちゃってました。
あと、駅南イオンの南側、二塚のコンビニ跡地で「ゆで太郎」が入ってたテナントに「テキサスハンズ」が入りました。ここだけ未食です。
最初に書いた3件で事足りてて、一番遠くの「テキサスハンズ」はまだ行ってない…
ゴンス:高校生だったTampa時代、高岡でファーストフードと言えばモスバーガー。マックは1990年代になってからだったはずだし、ケンタッキーも同様か?!
今のケンタッキーの場所は、俺にとっては「西町(にしちょう)バッティングセンター」の場所としての方が印象深い。確かクレイジークライマーとか置いてあったはず。
そんな高岡だから、ピザ屋は無かったか、俺達が知らないところで営業されてたか のどっちかだな。だからピザ自体も俺は知らなかった(爆)
寛斎:ウチは1974年に発売されたという明治の冷凍ピザ「ピッツァ&ピッツァ」ってのを静岡時代に食べていたよーな記憶が。だからピザはスーパーで買って、ウチで食べるものだと思ってました。
切らないでかぶりついてたように記憶してるので、6つ切りとか8つ切りにしない。だから「1切れ欠けた」状態は私も連想できませんでしたね(爆)
ゴンス:ここまでの話で、あーたのピザ好きが見え隠れするんだが(笑)
寛斎:ウチは家族全員好きですね(笑) 大仏下の「ピザウィリー」は持ち帰り半額なので、「No.3 アメリカンスペシャル」のMサイズをいつも買います。
以前は志貴野中学前にあった「ピザキャリー」は「ピザクック」になって、その後廃業。多分別のオーナーが「ピザキャリー(新)」を駅南の元ダイエー横、当時は麺房なべもと駅南店の跡地にオープン。
ここでは「チキンテリ」を買います。高岡に出来たのが奇跡! の「ドミノピザ」では以前はネット注文専用裏メニューの「エクストラバガンザ」を。
それが廃止されたから、だいたい「ドミノデラックス」を買います。ウチで「ピザ食べよう」となると、ウィリーとキャリーへ持ち帰りのハシゴをしてます。
ゴンス:2軒廻ってまで買ってくる。この執念、やっぱり(笑)
しかも出てくる単語が高岡ローカルだな。いちいち懐かしい。
寛斎:まぁ会の名称に「高岡」ってついちゃってますからね。ここは高岡ローカルの「昭和40年男」的なところを目指して、自分の記憶と住宅地図とかの記録を総動員して、同世代の方々に懐かしんでもらいたいところです。
■ 画像 パックマン 貯金箱 (ネットからのいただきもの)
寛斎:栃木県足利市で小学2年生だった1974年に発売されたパックマンの貯金箱。
クラスメイトの借宿1丁目の島田君が私の自由帳に「パックマンの旅」という簡単なマンガを描いてくれたのが出会いです。
ゴンス:あーたのことだから、当然その「自由帳」も保管している?!(爆)
寛斎:そーなんです(笑) 小学生時代の「お宝」を詰めた段ボール箱に入れて物置で絶賛保管中(爆) 発掘したら紹介したいんですが(笑)
小学2年生のマンガですから、内容は他愛のないもので、緑パックマンの絵と世界各地の背景と地名がかかれたものが1コマで、日本→中国→アメリカ等、
いろんなところに行くだけのものです。そのうち、ゲッターロボや破裏拳ポリマーよろしく、パックマンが飛行機になったりもして、更に世界を飛び回るというもの。
そして赤い「パッケマン」とか兄弟が登場。更には当時の特撮モノ「トリプルファイター」にインスパイアされたのか、はたまた「ありえへん合体」が小学生を魅了した「ゲッターロボ」がモチーフか、もう1つ登場する弟分と3つが合体するところまで書いてました。
島田君は2年生にしては「絵心」あったと思います。
ゴンス:ナムコが1980年にPUCK-MANをリリースする前からのパックマンファンだったと(笑)
寛斎:まぁ、そーいうことです(笑) ですから1980年にビデオゲーム版パックマンが出た時は、即ハマりです。パターンを遂行すれば長持ちする、くねくねと曲がりまくれば、モンスターから逃げられるという要素も大逆転の要素以外に私か好きだったポイントですね。
ゴンス:あとは、「安全地帯」か。玉置浩二(笑)
寛斎:モンスターの「巣」の上の部分は、モンスター達は下から上がれないようになってるんですよね。ヤバくなったらくねくねして、そこから上に上がると、アカベイをまくことができる。
ゴンス:金沢でひろしと俺がルート5をまいたみたいに(爆)
寛斎:そのエピソード、年末帰省するたびに言ってましたね(笑)
で、今回ネットで調べると、フルーツターゲットが出る付近にも、同様に安全地帯があるという記載を発見。その部分は知らなかったので、全く利用してませんでしたね。
■ 画像 安全地帯
ゴンス:まぁ発起人3人衆はそこまでやりこまなかったから、当然知らない話なんだけど…
■ 画像 パックマン ポップ
寛斎:そしてパックマンのポップです。組立式で、オレンジのグズタ以外の3色が登場する感じです。「パックマン、ポップ」でググっても、この画像はHitしなかったし、貴重品かもしれませんね。
ゴンス:これもまた40年以上前のシロモノだから(笑)
寛斎:当時ゲーセンとかでこのポップは見ましたか?
ゴンス:当時高岡にはナムコの直営店は無かったから、Tampaを始めてNAMCOからプレゼントとして送られてくるまで見た事なかったな。もしかしたら、金沢のジャスコグリーンシティの直営コーナーのお姉さんからもらったのかもしれない。
寛斎:「重要ポイント」はインストラクションカード同様のことが書かれていると思いますが、「テクニック」として、「ギクシャクしたコーナリングではモンスターのエジキ」と書かれてます。スムーズに角を曲がるのを「コーナリング」と書いてる。曲がりまくると、モンスターをまくことができたんですよね。それをテクニックとして紹介してますね。
当時はテーブル筐体がメインで地味だから、こういうポップが大事だったんですかねぇ?
ゴンス:アップライト筐体だと、筐体横の巨大な面積のパネルとか、前面上部のパネルとかにイラストを描くことで、そのゲームの独自性を訴求できたけど、テーブルだと小さなインストラクションカードと画面に映るゲーム自体でしか訴求出来ないから、テーブルの上に立体物を置いて訴求するという発想だったんだろうな。
寛斎:Tampa当時、NAMCO以外からあまりもらえなかったのか、他だとタイトーの「新製品」てポップとか、「バーディキングⅡ」の手描きイラストをカラーコピーして厚紙に貼った手作り感満載のポップぐらいしか残ってないですね。
ゴンス:ナムコはそういったトータルでの訴求力みたいなところもデザイン系の方々が考えて、製品の魅力プラスアルファで売れてったのかもね。
寛斎:アーケードゲームのポップの研究。これだけでも壮大な研究テーマですね。現存するポップが少なそうだし、究めるには困難を極めそうですが…
同様にあまり突き詰められていなそうな分野として、当時の雑誌広告ですね。これは発起人の誰かから、コピーしたものをもらって保管していたようです。
カタログ表裏のイラストや説明の他、中央のイラストはパックランドに出てくるパックマンの原型ですよね。
■ 画像 パックマン 雑誌広告
ゴンス:「一度やるともうあなたはゲーム・フリーク」って書いてあるね。
寛斎:1980年、既に「ゲーム・フリーク」という言葉も使われてたんですね。ポップとか広告をカタログのようにコレクションしているって人はあまり聞かないですよね。
そして私の大好きなサウンド面ですが、フォルでのものなのか、ルート5のゲーム音録音テープにパックマンのオープニング曲を口ずさんでいるのが残ってましたね(笑) ダビングさせてもらったはずですが、これもテープが発掘できていないという…
ゴンス:パックマンではオープニングとパックマンショー以外は「曲」みたいのはなかったね。効果音だけで。
寛斎:フルーツを食べたときの「ゲップ」がおかしかったですね、中学生的には(笑) スーパーパックマンになると、ビジュアル的にもサウンド的にも大分グレードアップしてますが、パックマンではまだまだちょっとさみしいですかね。
そして「やりこみ」ですが、私はパワーエサが無効になる「カギ5面」までは行けましたが、それ以降のパターンを知らないので、そこまででした。「カギ9面」からは、パックマンが更に遅くなって、それまでとは別のパターンを作らないといけないという。「リンゴ」からのパターンは、みんながやってるので覚えましたが、
カギ6面以降を泉町の駄菓子屋「三村」でやってるヤツは見たことがなく、パターンをパクれなかったという…
「三村」には1学年後輩、町内のリブルラブルプロフェッショナルの「タツヤ」の同級生「パックマンボーイ」と呼ばれていたイマイ君て子もプレイしにきてましたが、イマイ君のカギ9面も見た記憶がない。
ゴンス:「三村」ね(笑) あと、別府湯ウラの「岩佐」にもあったでしょ?
寛斎:「岩佐」にもやりに行きましたね。黙々と「パターン遂行」してると、「その下の2粒を食べてもパターンが成立するんだよ」とか、やってるそばで「ガセネタ」を吹き込む柳沢君て同級生もいました、岩佐には(笑)
中学3年なので1981年ですが、「三村」でパックマンをやってたら、体育の大阪先生が覗きに来て、翌日職員室呼び出し。
職員室でしばらく正座させられました。駄菓子屋であっても、中学生のゲームプレイは「校則違反」だったんですよね。
ゴンス:その話、001-05-01でも書いてるね(笑) まぁ俺達は中3のとき、1979年の全校朝礼で「インベーダーやったもん、立ちろ」でさんざんイビられましたから(爆)
寛斎:これはそれから2年後なんですが、まだまだ「迫害」を受けてましたね、ビデオゲームプレイヤーは。
ゴンス:俺はその頃は高校生だから、補導もされないし、ゲーセン入り浸りですよ(笑) Tampa発足の前年だから、各メーカーに個人的にレポートを送り付けて、カタログ請求してた頃かな。
寛斎:当時の私はカタログなんてものの存在も知らず、ひたすら駄菓子屋でプレイ。そう言えば1981年か1982年の正月、年の始めに清水町2丁目の「富屋」に設置のミニアップライトのパックマンを初ゲームとしてやりましたね。
その他、FL表示の家庭用ゲームも楽しんでました。バンダイのパックリモンスターが再現度2位、学研のパックモンスター(名前がまぎらわしい(笑))が最もそれらしく再現してたかなぁと思います。
エポック社の液晶パクパクマンは同級生の物か、おもちゃのバンビのデモ機で遊んでいたかなぁと。
パックリモンスターは同級生の山本君の家までおしかけてやりまくり。これはナムコから訴えられたようです。トミーの許諾商品パックマンや学研のヤツもやはり、おもちゃのバンビでデモ機で遊びまくってましたね。
振り返ると「ハマっていた」パックマンですが、自分で買ったのはファミコンのソフトだけでしたね。ただしファミコンのはパターンが全く異なったので、「つまんない」と当時は思いましたね。
ゴンス:俺たちはゲーセンのホンモノしかやってないから、家庭用に関する情報にはうとかったな。唯一やったのが、前回ギャラクシアンの記事でも紹介したマテルのヤツ、ね。
寛斎:マイコンで再現したソフトもあったんでしょうけど、当時の私はキーボードでのプレイに全く魅力を感じなかったんでしょうね。FL表示でレバーでプレイのバンダイ、学研は小さいながらもがんばってジョイスティック状のコントローラーで
出来たのも魅力のひとつ。トミーのパックマンはボタンだったし、そこがまた残念なところでした。
ゴンス:そういえばパックマンもパーツ(注:「フォル」に隣接する無線パーツ)で打ち込んで、タダゲーしてたな。確かシャープのMZ-80だったような記憶。
寛斎:スペードとか、ハートが動くんでしょ? それがまた、そそらなかったんですよね(爆) 私はこの業界にサウンドとビジュアルから入ってますから(笑)
ゴンス:まぁ、ロハ(無料)だからってのが最大の理由だけど(笑)
寛斎:4種類の敵の性格付けもされていた?
ゴンス:そこそこ考えられてて、スペードはおっかけ、ダイヤはのろま、みたいなキャラクター付けが意外と出来ていた。当時の持論としては、キャラクターが○でも△でも、おもろいゲームはおもろいはずだってのがあったんだよね。
寛斎:そこが単色キャラのインベーターからやってた発起人たちと、フルカラーギャラクシアンのビジュアルから入った私の違いなんでしょうねぇ…
今回ググってみたら、開発者である岩谷 徹さんは東京工芸大の名誉教授になってらっしゃいます。更に、ゴンスが「10点中9点」と大絶賛だった「リブルラブル」の企画兼プロデュースも後にされていたという。
ゴンス:それは知らなかった。当時は誰が作っているか、なんて情報は高岡までは届かなかったからなぁ…
寛斎:プロデューサーとしては、私たちもよく知る『ドラゴンバスター』、『源平討魔伝』、『リッジレーサー』、他は私達がゲーム離れしてしまい馴染みの薄いタイトルも沢山てがけてらしたようです。
で、パックマンのモンスター達は最初は4匹がアカベイで、パックマンを追いかけていた。そうするとパックマンの前方が安全地帯みたいになってしまうので、4色に分けて、
パックマンを追う赤・アカベイ、パックマンの3ブロック先を追い待ち伏せするような動きの桃色・ピンキー、アカベイと対称な動き(ザックリ書いてます)の水色・アオスケ、ランダムな動き(これもザックリ書いてます)の橙色・グズタ
と、1980年当時にAIのような感じで考えてらした とHitした記事には書かれていますね。ここまでは今回調べるまで知りませんでした。
ゴンス:これがそれまでの、「全ての敵がプレイヤーを追ってくる」みたいなゲームと、パックマンの大きな違いなんだろうね。
寛斎:その記事には企画書とかの資料も載ってて、前述の「カギ9面」(22面)からは「スピードレベルD」としてパックマンがモンスターより遅く設定されてます。
こんな資料を見る事が出来る日が来ようとは、夢にも思いませんでしたね。
あとは、迷路の表示について、黒地を活かして迷路は青い枠線だけにして、パックマンとモンスターを際立たせる というところにもこだわってらしたようです。これは続編のスーパーパックマン、パック&パルでも踏襲されてますが、
アメリカで全く別起案で制作されたミズパックマンでは、ベタ塗りされてしまってるんですよね。このあたりの事は他でも書かれてるでしょうから、私たちが語るまでもないですね。
ゴンス:パックマンはあーたが書いた国内版の続編2つ、アメリカのパックマンのキャラクターがそのまま動くようになったパックランド、そして当時のTampaの陰の支配者と言われていたSさんがなんとナムコに就職してリリースされた「パックマニア」ほか、アメリカではスクロールするJr.パックマンも出ていた!
寛斎:パックマンは超メジャータイトルですから、1980年当時のコピー機もたくさんあり、それらもネット上で網羅されてますが…
■ 画像 ニューパック1
迷路違いのニューパック1、ハングリーマン、スキャンダルマン、ポパイパックマン、キャラクターを大幅変更したピラニア、ストリーキング…
■ 画像 ニューパック2 スキャンダルマン
当時、高岡の駄菓子屋やゲーセンで確認できたのは、上下の横一本道に「凸」をつけて、モンスターに追われてもくねくねと逃げやすくなったニューパック1、それの逆襲したときのモンスターがなめくじみたいな裸になって、4匹目のポイントが1600点から8000点に増やしたニューパック2・スキャンダルマン、
■ 画像 ハングリーマン
左右ワープホールの入り口にグルっと折り返せる3つのブロックがついて、3面置きぐらいで上下ワープルートが出来て、迷路がなくなるハングリーマン、
■ 画像 ポパイマン(?)
そのキャラクターがポパイになったヤツ、あと、改造元基板のスヘックが低いのか、音と色が変で、安全地帯の無いニセパックマン等ですかね。
「ニセパックマン」はギャラクシアン等、それ以前の基板からのコンバージョンみたいですね。
■ 画像 ピラニア
■ 画像 ストリーキング
ゴンス:あーた、相変わらずよく覚えてるね。俺はもうあんまり覚えてないよ、亜流パックマンまでは。
寛斎:ただ、亜流パックマンのパターン構築まではやりませんでしたね。ワープルートが複数あり、完全パターンがなくともワープして逃げればそこそこの面まで遊べたし。
ゴンス:そうこうしてるうちに、あのディグダグも出てくるし ですか(笑)
寛斎:そうですね。自分の中で「パックマンブーム」の終わりと、高校に入ってからの半年ぐらいでしたが「ディグダグブーム」の始まりですかね。
ゴンス:ベストヒットオブTVゲームの第1位ですな。
寛斎:ついででドット絵だけ紹介したスーパーパックマンとパック&パルも紹介したかったんですが、長くなったのと、更に更新が遅れてしまうので、またの機会にするってことで…
最後に、膨大な種類が発売されたグッズのひとつと言っていいのか、マッピー(ロボットの)とパックマンの「エコーハガキ」を。
■ 画像 エコーハガキ
ゴンス:当時の郵政省による企業コラボ、というより、広告を入れることで、ハガキ代を安くするというもの。
寛斎:社会人になるまで使っていた勉強机に挟んでいたので、色あせてしまってます。大幅に価値が下がってしまってるんでしょうねぇ…
ということで、結構なボリュームになりましたし、そろそろ今回は終了で…
ゴンス:恒例の See You Next Week!(笑)
寛斎:Next Weekと言いつつ、半年とか過ぎちゃう(爆)
コメント
コメント一覧 (7)
パックマンはピザから1ピース取った形から発想したとされていますが、“食べる”という動詞から生まれたのは間違いないところで、パックは1クチ、口に入れた時の“パク”が語源のようです。(制作資料を見るに)
ただ、ギャラクシアン創世記やMr.ドットマン本に記したように、80年代中期までのナムコ社内のネーミング決定権というのは、デザイン部門のトップであった甲斐敏夫さんであり、甲斐さんの決定の後、社長承認のステップに上がります。
なので、岩谷徹さんがそう書いたとしても、甲斐さんの何らかのバイアスが介在している可能性は大いにあります。
甲斐さんはパックマンのサウンド作曲者でもありますが、インタビューでは印象的なコーヒーブレイクの音楽は邪道という風に言われておりました。
スタートミュージックこそが至高で、あれこそがジャズなんだ、と。
甲斐さんはナムコ入社前はジャズのプロミュージシャンをしていました。
パックマンの立体ポップなども全て甲斐さんの影響下にあるものと思います。(私も所持しています!w)
モノクロのものはアミューズメント産業の広告をコピーしたものと思われます。
丹波寛斎
がしました
「パックマン」といえばフルーツターゲットと言いつつもかき氷(?)やカギ。しまいには「ギャラクシアン」の旗艦が登場したり・・・。いま改めて見直してみてもパックマンのデザインは秀逸だよなぁ。
話しは変わるけど、まさかminiモノであの「スチールワーカー」や「ルパン三世」で再び遊べる日が来るとは。長生きしてみるもんだなぁ。
丹波寛斎
がしました
偶然に立ち寄ったゲーセンで「パックマン」のロケテに遭遇しました。
>miniモノというと?
https://www.taito.co.jp/egret2mini/title
>スチールワーカーは現物見てないんですよね。
前述のイーグレットミニⅡに収録されるので四十数年振りの再会ですね。
ルパン三世については、つい最近こんな動画を見つけて感心しています。
https://youtu.be/2GfIeJjEpX4
丹波寛斎
がしました